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これまでの説教

2019年10月27日  マタイによる福音書 21:23〜27
    「救いをもたらす権威」  田村 耕造


                            
   今、私たちの教会には、病院に入院して、あるいは病院に通ってリハ
 ビリをしている方たちがいます。自分の心がけだけではリハビリは難しい
 からです。そのように、自分に必要なことでも、自分の心がけだけでは出
 来ないことがあります。それで、自分を救う方向に歩めないことが起こり
 ます。祭司長たちはその代表でした。そして私たちもそうです。


   そういう私たちの為に、主はエルサレムの町に入られました。十字架に
 向かわれました。自分の考えや判断に権威を置いてしまう私たちの罪を償
 うためです。そして、私たちの心を神さまに向けようとしてくださいまし
 た。私たちを命の方向に、救いの方向に向けようとしてくださいました。

  
私たちは、信頼しているお医者さんの言葉は、そのまま受け入れます。
 そのように、主イエスを、神さまからの権威ある方として受け入れましょ
 う。主はその死と甦りによって、私たちが救われる為に、決定的なことを
 してくださいました。私たちの人生を、神さまに結び付けてくださいまし
 た。揺るぎない人生を歩めるようにしてくださいました。信じて感謝しな
 がら新しい週を歩み始めましょう。



2019年10月16日 祈祷会での学び 出エジプト記 12:21〜28 
 田村 耕造


            

   モーセは、何度もファラオの所に行って、神さまから授かった力で不
 思議なことをしました。イスラエルの民をエジプトから去らせてもらうた
 めです。しかし、ファラオが、どうしてもイスラエルの民を去らせなかっ
 たので、10個目の災いが下されることになりました。それにあたって、神
 さまは、イスラエルの民を守ろうとされました。それで、小羊の血を鴨居
 と家の入口の柱に塗ること
をお命じになりました。
 それが、「過ぎ越しの祭」の由来です。


   過ぎ越しの出来事(B.C.13世紀)は、主イエスの十字架の出来事につな
 がっています。イスラエルの民が、塗られた血のゆえに、災いを免れた(
 =救われた)ことは、罪なき主イエスの十字架での血潮で、すべての人が
 救われる予型でした。主が、過ぎ越しの祭りの時、過ぎ越しの小羊として
 屠られたことを心に留めましょう。それと共に、「血を流すことなしには
 罪の赦しはありえないのです。」(ヘブライ9:22)、「見よ、世の罪を取
 り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)のみ言葉も心に留めましょう。




2019年10月13日  マタイによる福音書 21:18〜22 
       「実りある人生を」 田村 耕造


                

   主イエスは、朝早く、エルサレムの町へ向かわれる途中に空腹を覚え
 られて、道端のいちじくの木を見られました。けれども、実を見出すこと
 ができませんでした。それで「今から後いつまでも、お前には実がならな
 いように」と言われると、その木はたちまち枯れてしまいました。空腹の
 ために主イエスが、木に八つ当たりされた話のように思えます。しかしそ
 うでしょうか。

   
主イエスは、ご自分の最後が近いことを思いながら、ご自分の働きで
 人々の生き方がどんなに変わったかを振り返られました。しかし、人々
 の生き方は何も変わっていませんでした。実りを見出すことが出来ません
 でした。木を枯らされたのは、そのことと関係がありました。主の嘆きの
 大きさを表していました。

   
イエスは空腹を覚えられました。「空腹を覚えられた」という言葉は
 「飢えておられた」とも訳せます。主は、信仰に飢えておられました。心
 から神さまに信頼する信仰に飢えておられました。主は、信仰のことで、
 私たちのことで飢え渇いておられた。私たち以上に飢えておられました。
 私たちのまことの救い主だからです。



2019年10月6日  マタイによる福音書 21:12〜17 
       「主の激しさ」  田村 耕造


                 

   主は、神殿の庭で、礼拝のために開かれていた店の台を次々にひっくり
 返されました。そして、言われました。「『わたしの家は、祈りの家と呼
 ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にして
 いる。」それは、人々が、動物やお金を用いて、罪の赦しを神さまから奪
 い取っているという意味でした。


   主がなさったことは、普通に考えれば、器物破損の罪で、捕まえられる
 ようなことでした。しかし、主がしておられたことは、犯罪とはおよそ違
 う事でした。人々が救いから漏れないようにと警告を発しておられまし
 た。それは、羊飼いが、大声を出して、迷い出ている羊たちを呼び戻すよ
 うなことでした。まことの救い主なのでされた事でした。


   主がこの時、外科医の様な事をされました。ご自分の最後の時が迫って
 いたので、あえて手荒い振る舞いをなさいました。ご自分の働きで人々の
 生き方の根本が少しも変わっていなかったからです。しかし、その心の内
 は、人々の救いを切に願う思いに満ちていました。その思いが主を十字架
 に向かわせました。




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