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これまでの説教

2018年8月19日 ヨブ記 3:11〜19 
       子どもの礼拝より  田村 耕造

   私たちは子どもの時代も、大人になってからも大変な事が身の回りで起
 こったりします。悲しい事や辛い事が起こります。ヨブという人は、全財
 産と子どもを失いました。また、ひどい皮膚病にもかかりました。それで
 も神さまを非難するようなことを言いませんでした。神さまへの信頼は揺
 るぎませんでした。神さまにしっかり向き合っていました。


  しかし、辛い状況が何時まで続くのか分からない中、遂にヨブは耐えき
 れなくなります。この世に生まれたことを呪い始めます。自分なんか生ま
 れなかった方が良かったと、神さまに不満をぶつけます。しかし、神さま
 を信頼する心は失っていませんでした。依然として神さまに向き合って、
 祈って、自分の思いを神さまにぶつけました。

  大変な時こそ、神さまに向き合って祈ることが大事です。私たちに何が
 起こったとしても、神さまは、私たちに向き合っていて下さるからです。
 私たちのことをお忘れになることはありません。それどころかずっと見守
 って下さっています。私たちは、大人も子どもも天の父なる神さまの愛情
 あふれる見守りの中で、毎日生きています。

 ※8月26日は交換講壇のため、前週のCS説教要旨を掲載しています。
     




2018年8月19日  マタイによる福音書 8:18〜22 
         「弟子の道」  田村 耕造


   主は「先生がおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言っ
 てきた律法学者に対して「自分には枕する所もない。」と言われました。
 「枕する所もない」というのは、宿無しということではありません。家に
 当たる場所、一番くつろげる所が自分にはないという意味でした。私たち
 のまことの救い主であろうとしておられたからです。主に従うことの厳し
 さを示されました。


   また主は、「まず、父を葬りに行かせてください」と言った弟子に対し
 ては、「わたしに従いなさい。」と言われました。父親を理由に使って、
 主に従うことを先延ばしにしないようにと言われました。それは、信仰生
 活は、自分のペースでするものではなくて、主に合わせるもの、ですから
 主を送られた父なる神さまに合わせるものだという事でした。


   勢い込んで主に従おうとする人と主に従うことをしり込みする人が記さ
 れていますが、この対照的な二人が私たちの中にいるのではないでしょう
 か。主はそういう私たちに、弟子の道を教えて下さいました。どういう時
 も、空の鳥以上に、私たちを養い生かそうとしてくださる神さまが居られ
 ることを信じてすべてを始めようとする。それが、主の弟子にふさわしい
 生き方です。天の父を信じる者の生き方です。


               



2018年8月12日  マタイによる福音書 8:14〜17 
         「すこやかな姿で」  田村 耕造

  「病と信仰」の関係について書かれたある読み物に、こういう事が書か
 れています。…「人間は、精神と身体と霊からなっています。精神と身体
 は互いに切り離せない深い結びつきがあり、両者の根底には、神と人間が
 出会う場所として霊があります。人間は霊において神と交わることで、シ
 ャーロームの状態に置かれます。シャーロームとは人が平安を得ている健
 康な状態の事です。」


   主は、神さまとの関係で病んでいる私たちを招いてシャーロームをもた
 らすためにこの世に来られました。それは、ただ私たちを癒すためだけで
 はなく、私たちを神さまに出合わせるためでした。私たちがすこやかな姿
 で生きるためには神さまに出会うことが欠かせないからです。


  私たちは、精神においても身体においても病は避けられないかもしれませ
 ん。霊が病んでいるからです。しかし、たとえそうであっても、なお、私
 たちは平安を失わないで生きて行けます。それは、父なる神さまが、私た
 ちをどこまでも支えようとして下さっているからです。イエスさまの生涯
 はそのしるしです。


                 


2018年8月5日  マタイによる福音書 8:1〜13 
         「ただひと言を」  田村 耕造


    主イエスが山から下りてこられた時、一人の重い皮膚病を患っている
 人が近づきました。そして言いました。「主よ、みこころなら、私を清く
 することがおできになります。」この人の信仰が言わせた言葉でした。自
 分をわきまえた純朴な信仰です。

  百人隊長にも同じような信仰がありました。彼は言いました。「主よ、
 ご足労には及びません。ただお言葉を下さい。」それは、まるで上官に向
 き合ったような敬意にあふれた言葉です。これもまた純朴で、幼な子のよ
 うな信仰から出た言葉でした。


   神さまを認めて生きるという生き方、人として一番自然な生き方には、
 幼な子のような心が欠かせません。私たちは、歳が幾つであっても、神さ
 まに対して、幼な子の心を持つことで、岩の上に建つ家のように、色んな
 ことがあっても、どっしりとした歩みができるようになります。

  
                
 



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