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これまでの説教

2018年7月29日  マタイによる福音書 7:24〜29 
         「岩の上に」  田村 耕造


             

   「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建
 てた賢い人に似ている。」と主は言われました。私たちの人生を、家を建
 てることに例えた言葉です。み言葉を拠り所にして生きる人は、土台が確
 かな家に住むような人生を送ることができると言われました。神さまを視
 野に入れた人生を歩みなさいという思いが込められた言葉です。


   「み言葉を聴いて行う。」それは、例えば、山上の説教の中のどの言葉
 でもいい、心に留めて生きようとすることです。生活の中で、折々に、主
 の言葉を思い浮かべては味わう。そうしながら、み言葉を拠り所にするな
 ら、色々な事が起こっても、心の一番深い所、土台に当たる所まで揺さぶ
 られることは起こりません。


   25節に、「雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れ
 なかった。岩を土台としていたからである。」とあります。み言葉を大事
 にして生きる者も、周りの人たちと同じように試練に遭います。しかし、
 それでも、神さまのご支配の中ですべてが起こっていることを信じている
 なら、また神さまは無意味に試練をお与えになることは無いと信じている
 なら、人生の土台が崩されることはありません。


   



2018年7月22日  マタイによる福音書 7:15〜23 
         「良い実を結ぶ」  田村 耕造


                  

   主は、山上の説教を喜んで聞いていた人たちに向かって「偽預言者を警
 戒しなさい。」と言われました。偽預言者は、人々がまことの神さまに向
 き合おうとするのを妨げるからです。そういう人たちが昔からいます。現
 代にもいます。偽預言者は主イエス以外に救われる道があると教えます。

  主は偽預言者の事を思いながら言われました。「すべて良い木は良い実
 を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。」と言われました。良い木とは、主イエ
 スに結びついている木です。また、主イエスが結びついてくださっている
 木です。「主イエスに結びついている」とは、心が大変な時、自分は主イ
 エスとつながっている。また、主イエスが自分につながっていて下さる。
 そう信じて平安になれるということです。

   私たちは、神さまに「お前なんか知らない。」と言われても仕方がない
 者です。しかし、主イエスが出会って下さり、結びついて下さったので、
 今や、神さまに「おまえなんか知らない。」とは言われない者にされてい
 ます。良い木にされています。自分の本来の力を発揮して、自分にふさわ
 しい成果を得ることができる者にされています。



2018年7月15日  マタイによる福音書 7:13〜14 
         「狭い門から入ろう」  田村 耕造


                
 
   主イエスの時代、ユダヤ人たちは、十戒を始めとして、多くの戒めを守
 る暮らしをしていました。神さまがお遣わしになった主イエスよりも戒め
 を尊ぶ暮らしをしました。行いによって神さまに喜ばれる生き方ができる
 と考えていました。その考えで、みんなで歩んでいました。ですから、安
 心感があったことでしょう。


   周りの人たちと同じことをすることで安心するというのは、私たち日本
 人の特徴でもあります。人と違うことをすることに不安を感じます。です
 から、教会で聞いた聖書の言葉や話に心動かされるても、周りの人たちが
 、そんな事を気にかけないで暮らしているいのを見ると、そこまで真剣に
 考えなくてもいいかという気持ちになりやすい。


   しかし主は、「(私という)狭い門から入りなさい」と言われました。
 それは、「入れ、(私という)狭い門から」という強い言葉でした。私た
 ちを守るためにそう言われました。私たちは、主イエスによってこそ、神
 さまに至る命の道を見つけることができます。それは、周りの人とは大い
 に違う生き方ですが、主がお命じになったように、私たちが歩むべき道で
 す。




2018年7月8日  マタイによる福音書 7:7〜12 
         「必ず応えて下さる神」  田村 耕造


   主は「求めなさい。そうすれば、与えられる。」と言われました。これ
 は、「神さまを求めなさい」ということです。後に続く言葉も、神さまと
 関係があります。「神さまを探しなさい」、そして、弟子入りを願う者の
 ように、「神さまの門を叩きなさい」そうしたら、「与えられる。見つか
 る。開かれる。」と言われました。


  「求めなさい。探しなさい。門を叩きなさい」、それらはいずれも命令形
 です。「どうしても神さまを求めなさい。気が向かなくても求めなさい。
 また、神さまに立ち返る道を必死に探しなさい。そして、神さまの門を叩
 いて、神さまがどういう方か教わりなさい。」と言われました。私たちの
 信仰生活は、ある時、信じたらその後は大丈夫という事にならないからで
 す。


   しかし、主は、その後に、このような事を言われました。…「自分中心
 な父親でも、子どもには、良いものを与えようとするとしたら、天の父な
 る神さまは、一層あなた方に良いものを与えて下さるに違いない。」それ
 は、「慈愛に溢れた神さまのみ心を拠り所にした信仰生活をしなさい」と
 いうことです。


                                    



2018年7月1日  マタイによる福音書 7:1〜6 
         「人を裁かないように」  田村 耕造


                       

    主は、「人を裁くな」と言われました。人を裁くことは、私たちの誰
 もがついしてしまうことです。いろんな場面で起こります。会社や学校で
 、家庭で、教会でも起こる。しかし、どういう人も、神さまに裁かれざる
 を得ない者なのだから、人を裁かないようにと言われました。


   人のことが、気になる私たちです。それで、つい裁きの言葉を口にして
 しまうことがあります。しかし、それは、僭越にも神さまに代わってその
 人を裁くことになりかねません。人を裁く資格を持っているのは神さまだ
 けです。また、正しい裁きをすることができるのも神さまだけです。


   私たちは、神さまの前には、50歩100歩です。神さまに裁かれても仕方が
 ない所を誰もが持っています。それにもかかわらず赦して頂いています。
 ですから、「人を裁くな」という言葉は、「裁いてはいけない」というよ
 りは、「赦しなさい」という意味に受け取れます。天の父なる神さまが、
 主イエスを用いてこれ以上ない思いを込めてなさった厳粛な出来事を思い
 ながら、読むべき言葉です。


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