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これまでの説教

2018年10月28日  マタイによる福音書 9:35〜38 
         「主が願われたこと」  田村 耕造


             

  主は、多くの人たちが、神さまを頼りにできないで過ごしているのをご
 覧になりながら、「収穫は多いが、働き手が少ない。」と言われました。
 「伝道の可能性が大いにある。」と言われた。神さまを中心に見ておられ
 たからです。どういう状況も神さまの働きを妨げることはできないと信じ
 ておられたからです。


   私たちの目には行き止まりに見える状況も、主の目には、行き止まりで
 はなくて、希望が持てる状況でした。それで、「収穫が進むように。働き
 人が起こされることを神さまに祈り願いなさい。」と言われました。神さ
 まが御業を進められることを信じて、祈ることが大事だと言われた。


   先週の祈祷会で雪ノ下カテキズム(問135〜138)を学びました。心にと
 まる言葉がありました。…「キリストは、私どもとこの世界を支配してお
 られます。それは、死に打ち勝ち、罪に打ち勝つ神の命の支配です。その
 視点から、世界の歴史を見、自分の生活を整えることこそ、私どもの信仰
 であり、そこに私どもの望みがあります。」状況がどうであれ、神さまの
 み業がこの国にも自分にも進むことを信じて、平安を得て過ごし始めまし
 ょう。




2018年10月21日  マタイによる福音書 9:27〜34 
         「救い主に気づこう」  田村 耕造


             

  主は二人の盲人を癒されました。また、悪霊に取り付かれて口がきけな
 くなっていた人を癒されました。それらの出来事は、私たちにとっては、
 主のいつもの業にしか思えないかもしれません。しかし、神さまにとって
 は特別な意味を持つ出来事でした。主イエスは、神さまが差し伸べてくだ
 さった救いの手であることを示す出来事でした。

 
   二人の盲人たちが口にした言葉は、それを知らせるものでした。…「ダ
 ビデの子よ、わたしたちを憐れんでください。」「ダビデの子よ」とはダ
 ビデ王の血を引く人よという意味、更に救い主を意味する言い方でした。
 しかし、主はダビデ王とはまるで違う仕方で人々に救いをもたらして下
 さいました。憐れみによる救いです。良くしてもらう資格がまるでない人
 に、とことん尽くして仕えて下さいました。それが十字架の出来事です。


  主は更にその死から甦られました。それによって、神さまのご計画が私
 たちの只中で進んでいることが示されました。ですから、目の前の状況が
 全てではなくなりました。どういう悩みや苦しみの中に置かれたとしても
 それで、押しつぶされることはなくなりました。父なる神さまに守ってい
 ただける中で、過ごせるようになりました。それを信じて、感謝して、平
 安を得ることから、毎日を過ごしていきましょう。




2018年10月14日  マタイによる福音書 9:18〜26 
         「主が居てくださるので」  田村 耕造


                   

   私たちは、いつの時代も、愛する者の死や病のことで、悲しみや苦しみ
 を味わってきました。そして、それらの事では悲しむことしかできません
 でした。しかし、その状況が変わりました。主イエスが、私たちに向き合
 ってくださったからです。「娘よ、元気になりなさい。」「少女は死んだ
 のではない。眠っているのだ。」はそれを示す言葉です。


   死を悲しみ、病のために苦しむのが私たちにとっての最後の状況ではな
 くなりました。死に対する、病に対する私たちの状況が、一番深い所で変
 わりました。私たちが、主によって神さまとつながったからです。それで
 、死や病を避けることができないにもかかわらず、望みを持って生きてい
 けるようになりました。


   主が私たちに向き合ってくださいます。どういう日も、難しい病を癒し
 死んだ者さえ甦らせる力を持って、私たちを支え続けてくださいます。「
 見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、シオンに置く。これを信じる
 者は、決して失望することはない。」(Tぺトロ2:6)そのよい知らせを
 心に留めながら、新しい週を過ごしていきましょう。



2018年10月7日  マタイによる福音書 9:14〜17 
         「喜びから生きる」  田村 耕造

                

   断食は、ユダヤ社会では、礼拝すること、祈ること、献げものをする
 ことと合わせて、とても大事な習慣でした。しかし主はその習慣に従われ
 ませんでした。神さまのなさる事に合わせて生きておられたからです。肝
 心な事が分かっておられたからです。ですからいろんな事に対して自由で
 した。

   「新しいぶどう酒を新しい革袋に入れなさい!」と言われました。神さま
 がして下さったことを、そのまま受け入れて、喜びから生きようとしなさ
 いと言われました。神さまが、私たちのような者を愛して赦して生かそう
 として下さっている。その恵みに感謝して喜ぶことから生きることが求め
 られています。

   主イエスが来られたことで、新しい時代が始まりました。自分の欠けに
 ついて、嘆いたり悲しむことから、前向きになれる道が示されました。
 欠けがあり、不信仰な者が、それでも神さまに愛されている。わが子とし
 て愛され、生涯見守られながら生きることができる。それを信じて喜ぶこ
 とから、毎日を始める。それが主イエスに目を留めながら、天の父なる神
 さまを信じる者の生き方です



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