l>
TOP
教会の紹介
牧師の プロフィール
集会案内
年間行事
最新のご案内
これまでの説教

フォトギャラリー
アクセス・地図
リンク
これまでの説教

2017年9月24日  テサロニケ一 2:13〜16  
         「神の言葉を聞こう」  田村 耕造


                 

    パウロは、テサロニケ教会の人たちが、自分たちが語った言葉を神さ
 まの言葉として聞いたことをとても喜びました。普通には起こらない事だ
 からです。人が語る言葉には、限界があります。神さまのことを充分には
 伝えきれません。聞く人も神さまの言葉を受け入れるにはある難しさを抱
 えています。しかし、神さまが働いて下さるなら、起こりにくい事が起こ
 ります。


    私たちは、神さまの言葉を歓迎しないものを抱えています。自己中心
 な思いがあります。罪です。それは、私たちの存在と一つになっています
 。それは、時代が変わっても、国が違っても変わりません。テサロニケの
 人たちは、それに加えて偶像信仰も持っていました。しかし、パウロたち
 の言葉を、神さまからの言葉として聞きました。聖霊なる神さまの働きを
 覚えずにおれません。


    パウロたちの言葉を、神さまからの言葉として聞いたテサロニケ教会
 の人たちは、生き方が変わりました。今のままであってはいけないという
 思いにさせられました。新しい自分であろうとし始めました。偶像ではな
 く、主イエスを下さった父なる神さまを信じて生きようと思いました。「
 み言葉を聞く」ということはそういう事です。自分の生き方が変わるとい
 う事です。礼拝ごとに、その事が起こることを祈り願いましょう。




2017年9月17日  テサロニケ一 2:1〜12  
         「命さえ与えたいほど」  田村 耕造


              

  子どもが成長するためには、父親の愛と母親の愛、両方が必要です。教
会も同じです。パウロは、テサロニケ教会に対して、母親でもあり、父親で
もありました。一人で二役を務めながら、テサロニケ教会という子どもを育
てました。愛情深い人に変えられました。神さまのご愛に触れたからです。

 パウロは、神さまに敵対する生き方をしていたにもかかわらず赦され、伝
道者に召されました。そうしたことの中に、父なる神さまの母親のような愛
情を感じたのではないかと思います。また、敵のような自分を赦すために、
愛する御子を犠牲にしてまで償いの筋道を通された事に、父なる神さまの父
親らしい面を感じたのではと思います。


  神さまから頂いているものがあります。母親のような愛と父親のような愛
です。神さまに敵対し易い者でありながら、ただ、御子によって赦していた
だきました。それで、神さまのご愛をみ心を知りました。生き方が変えられ
ました。感謝して、パウロのように、神さまに喜んでいただける人生をひた
すらに目指す者にしていただきましょう。



2017年9月10日  テサロニケ一 1:1〜10  
         「偶像を捨てて」  田村 耕造


                        
 
  テサロニケの町の至る所に人間が造った偶像が建っていました。テサロニ
ケの人々は、そういう偶像の世界に生きていました。しかし、パウロに出会
って、偶像から離れ、神さまに立ち帰りました。まことの神さまに向き合う
者にされました。自分たちの元々の姿を取り戻しました。


  まことの神さまとは、イザヤが記しているとおりです。「わたしはあなた
たちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたち
を造った。だから、あなた方を担い、背負い、救い出す。」と言われる方で
す。「最後まで責任を持つ」と言われる方です。


  私たちの五日市教会も、始まりがテサロニケ教会と似ています。偶像に取
り囲まれる中、更に、浄土真宗が根付いている土地柄で、伝道が始められま
した。そして、今その只中で、神さまに立ち帰る生活を続けています。神さ
まは、私たちを造った方として、最後まで責任を持って私たちを背負い続け
て下さいます。信じて依り頼む歩みを続けましょう。





2017年9月3日  マルコによる福音書 16:19〜20  
         「離れても共に」  田村 耕造

 
             
 

マルコ福音書を読み始めた時、紹介した言葉があります。…「福音書は、私た
ちにとって良い知らせを届けようとして書かれたもの。但し、神さまの視点で私たち
にとって良い知らせが書かれている。神さまのお考えで、私たちにとって良い知らせ
が記されているそれで、私たちには、少し努力がいる。」


  私たちは、神さまが良いとお考えになるものを素直に良いものとは思えない者で
す。「主イエス」という方が大事だという事がなかなか思えない。しかし、主イエスこそ
大事な方です。この福音書は、冒頭ですでにその事を言っています。…神がお遣わ
しになった主イエス・キリストから良い知らせが始まる。


  神さまがなさった事の中に、主イエスに、良い知らせがあります。主はどこまでも
私たちと共に歩もうとして下さいます。私たちが不真実であっても、裏切っても、天に
帰られても、共に歩もうとして下さいます。そして、この世界に対しても私たちの人生
に対しても実権を持っておられます。信じて新しい週を歩み始めましょう。



2017年   8月
2017年   7月
2017年   6月
2017年   5月
2017年   4月
2017年   3月
2017年   2月
2017年   1月
2016年   12月
2016年   11月
2016年   10月
2016年   9月
2016年   8月
2016年   7月
2016年   6月
2016年   5月
2016年   4月
2016年   3月
2016年   2月

2016年   1月
2015年   12月
2015年   11月
2015年   10月
2015年   9月
2015年   8月
2015年   7月
2015年   6月
2015年   5月
2015年   4月
2015年   3月
2015年   2月
2015年   1月



2014年   12月
2014年   11月
2014年   10月

2014年    9月
2014年   8月

2014年   7月
2014年   6月
2014年   5月

2014年   4月
2014年   3月
2014年   2月
2014年   1月






  
2013年  12月
2013年  11月
2013年  10月
2013年  9月

2013年  8月
2013年  7月
2013年  6月
2013年  5月
2013年  4月
2013年  3月
2013年  2月
2013年  1月