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これまでの説教

2017年7月30日  マルコによる福音書15:42〜47  
         「神のご支配が見えた」  田村 耕造


                    
    父なる神さまは、私たちの父親として、私たちを取り戻すことについ
 て本気です。ですから、最愛の御子を送り込まれました。そして、私たち
 と一つになり、罪とも一つになって私たちを取り戻そうとしてくださいま
 した。私たちはどんなに神さまに愛されているかということに気づかなけ
 ればなりません。


    主は葬られました。私たちのために完全に死んでしまわれました。罪
 の力を奪うために、罪を一つになって死なれ、葬られました。そのことに
 神さまが関わっておられました。「神は、その独り子をお与えになったほ
 どに、世を愛された。」ヨハネ3:16というみ言葉がそのまま当てはまるこ
 とが起こっていました。アリマタヤのヨセフはそれに気づきました。


    その時、彼は、自分で自分を守ることを止めて、神さまにすべてを委
 ねました。この世の生活で自分を守ってくれる地位や身分や財産より、主
 イエスを大事にする歩みを始めました。人を恐れずその歩みを始めました
 。私たちはその歩みをすでにしています。いよいよ確かな思いを持って、
 その歩みを続けましょう。




2017年7月23日  マルコによる福音書15:33〜41  
         「私たちを変える死」  田村 耕造


           

   父なる神さまは、私たちの父親として、私たちを取り戻すことについ
 て本気です。ですから、最愛の御子を送り込まれました。そして、私たち
 と一つになり、罪とも一つになって私たちを取り戻そうとしてくださいま
 した。私たちはどんなに神さまに愛されているかということに気づかなけ
 ればなりません。


    主は葬られました。私たちのために完全に死んでしまわれました。罪
 の力を奪うために、罪を一つになって死なれ、葬られました。そのことに
 神さまが関わっておられました。「神は、その独り子をお与えになったほ
 どに、世を愛された。」ヨハネ3:16というみ言葉がそのまま当てはまるこ
 とが起こっていました。アリマタヤのヨセフはそれに気づきました。


    その時、彼は、自分で自分を守ることを止めて、神さまにすべてを委
 ねました。この世の生活で自分を守ってくれる地位や身分や財産より、主
 イエスを大事にする歩みを始めました。人を恐れず、その歩みを始めまし
 た。私たちはその歩みをすでにしています。いよいよ確かな思いを持って
 その歩みを続けましょう。




2017年7月16日  マルコによる福音書15:16〜32  
         「自分を救わない救い主」  田村 耕造


                   

    罪について、こんな言葉を読んだことがあります。…「罪は人間の一
 部ではなく、存在全体に広がっている。それは病巣が体全体に広がってい
 るようなもので、病巣をやっつけようとしたら、身体がやられてしまいま
 す。私たちの手には負えません。」そうだからこそ、神さまがどうにかし
 ようとして下さいました。


    神さまは、ご自分だけが犠牲を払うことで、私たちのどうしようもな
 い罪の問題を解決しようとして下さいました。私たちは何もしていないの
 に、主イエスの犠牲の死に免じて罪の解決ができたことにして下さいまし
 た。そうやって、私たちを救いに与らせ生かそうとして下さいます。


    主は何の罪も犯しておられなかったのに、極悪な犯罪者のような扱い
 を受けられました。十字架につけられている時、人々の心ない言葉に耳を
 貸すことなく、十字架の上に留まられました。ご自分を救おうとはされま
 せんでした。それによって、罪という自分の手に負えない病を抱えている
 私たちが、赦されて救われて神さまに素直に向き合って生きようとする者
 に変えられました。




2017年7月9日  マルコによる福音書15:1〜15  
         「十字架によって生きる」  田村 耕造


               
 
  祭司長たちに煽動された群衆が、恩赦に際して、「バラバを赦せ」と叫
 びました。そして、主イエスについては、「十字架刑に付けろ」と繰り返
 し叫びました。ピラトは保身の思いから、主イエスに罪を見いだせなかっ
 たにもかかわらず、群衆の言う通りにしました。それによって、主が十字
 架で殺されることが決まりました。同時にバラバが釈放されることが決ま
 りました。


   罪を犯していた者が、罪ゆるされて命拾いし、罪のない方が殺されるこ
 とになりました。筋の通らない話です。しかし、それが神さまのなさり方
 でした。罪をめぐっては、罪ある者を助けるために、あえて筋が通らない
 ようなことをされました。それによって、私たちは裁かれないで生かされ
 ることになりました。


   主は大祭司に裁かれました。ピラトに裁かれました。しかし、本当は、
 神さまに裁かれておられました。主はそれが分かっておかれたので、偽証
 がなされても、不利な証言がされても沈黙を守られました。私たちは、そ
 うした主の命を懸けた歩みによって確かな赦しをいただけることになりま
 した。どういう事があっても、神さまとの関係が失われない者にされまし
 た。



2017年7月2日  マルコによる福音書14:53〜72  
         「十字架に進まれる主」  田村 耕造


                

   おかしな裁判が開かれました。偽証が繰り返されて、誰よりも神さまのみ心を
 知っていたはずの祭司長たちが、神さまから遣わされた方を拒みました。それば
 かりか、何としてでも死刑にしようとしました。しかし、それによって、私たちにとって
 喜ばしい事が起こっていきました。私たちのような者が、神さまに赦され愛される
 事になっていきました。


   私たちは、自分のこれからについて、健康の事とか、経済的な事で、心配なこ
 とがいろいろあります。神さまのご支配がよく見えないような時も過ごします。しかし
 、そう言ったこと全てを取り込みながら、神さまが望まれることが実現していきます
 。ですから私たちにとって最善のことが成っていきます。


   主はそれが分かっておられたので、捕らえられるような言葉を口にされて、自
 分から十字架に近づくようなことをされました。それによって、私たちをどこまでに
 愛して大事にして下さる神さまの御心が成っていきました。私たちの日常は、どん
 な日も、そうした主の十字架への歩みの上に成り立っています。



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