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これまでの説教

2017年6月25日  マルコによる福音書14:43〜52  
         「聖書の言葉は実現する」  田村 耕造


   祭司長、律法学者、長老たちは、過ぎ越しの祭りの間に、主を捕らえることは
 やめようと話し合っていました。しかし、そうはなりませんでした。祭りの最中に、主
 を捕え殺すことになりました。それは、主が言われたように、「聖書の言葉が実現
 する」ことに向けて事は動いていたからです。

   祭司長、律法学者、長老たちではなく、主が十字架に向かう事を良しとされた
 父なる神さまこそ、すべての事を導いておられます。私たちに対して本当の力をも
 っておられます。私たちが罪を抱えているにもかかわらず、神さまを中心にした人
 生を歩めるようにすることがお出来になります。そのために、主を十字架に向かわ
 せられました。


   主は弟子たちに裏切られ捕らえられました。人間の罪深い思いが事を動かし
 ているように見えます。しかし、神さまのご計画に基づいたことこそ起こっていまし
 た。それによって、私たちのような、身勝手で、いざとなったら主と何の関わりもな
 い人間になる者が、そのままで赦されて、神さまが与えたいと願っておられる祝福
 に預かりながら生きていける道が創り出されました。


                  



2017年6月18日  マルコによる福音書14:32〜42  
         「主の苦しみに支えられ」  田村 耕造


    主は、私たちが誰も味わったことがない、人間の死の本当の怖さを味
 わわれました。それで、「私は死ぬほどに悲しい」、「できる事なら死な
 ないで済むようにして下さい」と祈られました。しかし、その祈りの最後
 で、「御心のままになさって下さい」と祈られました。それで、十字架に
 向かう心を定められました。


    主は、弟子たちに支えられることなく、たった一人で神さまに見捨て
 られる恐ろしさに向き合われました。私たち罪ある者の死に向き合ってく
 ださいました。そればかりか、実際死を味わわれました。神さまに見捨て
 られ関係が絶たれるという、人間にとって最も辛い経験をされました。そ
 れによって、私たちが救われる道が開かれました。


   私たちの日々は、たえずいろいろな不安や心配事を抱えていると言えま
 す。頼りない歩みです。しかし、それでも、父なる神さまによって成り立
 っていきます。主が御心に従順に従って下さって、罪人が償うべきことを
 すべてしてくださったからです。それで、私たちは、罪赦されたばかりか
 、神さまに愛され守られ支えられる人生を歩むことができる者にされまし
 た。


              
 



2017年6月11日  マルコによる福音書14:27〜31  
         「神の憐れみの中で」  田村 耕造


   主は弟子たちに言われました。「あなたがたは皆わたしにつまずく。
 …しかし、私は復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」それ
 を聞いたぺトロは言いました。「わたしはつまずきません。たとえ、御一
 緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して
 申しません。」


    しかし、主が言われた通りになります。ぺトロだけでなく、弟子たち
 全員が主につまずきます。主との関係を断ち切ってしまいます。主はその
 事をあらかじめご存知の上で、「ガリラヤで再会しよう」と言われました
 。弟子たちが主との関係を断ち切っても、主は弟子たちとの関係を断ち切
 るつもりはありませんでした。


    ぺトロは、つまずきます。自分はもう主と何の関係もない人間になっ
 たと思うような事が起こります。しかし、そうなっても、主の中ではぺト
 ロとの関係を切るつもりはありませんでした。それどころか、ぺトロとま
 た他の弟子たちと、どこまでも共に生きる覚悟をお持ちでした。それで、
 「ガリラヤで再会しよう」と言われました。そこに、主につまずくことが
 ある弟子たちの、また私たちの立ち直れる望みがあります。


                             



2017年6月4日 ペンテコステ記念礼拝 使徒言行録2:1〜13  
         「変えられる」  田村 耕造

聖霊の働き

聖書には、聖霊の働きを語る言葉が満ちています。
神が、この地上の歴史の中で、みわざを果たされるとき、
それは常に聖霊のわざでしかありません。

聖霊は私どもに罪と死からの自由を与えてくださいます。
死のとりこになってしまった私どもに、
新しいいのちを造り与えてくださいます。
聖霊を礼拝するとき、
私どもは、自分たちの永遠のいのちを深く確かに生きるのです。

聖霊によって、自分の魂に、生けるキリストを主として示され、
刻まれたとき、私どもは、罪を赦され、もはや滅びに至らず、
体まであがなわれて、主の復活に似てよみがえり、
主の永遠のいのちにあずかって生きるのです。

     
                     (雪の下カテキズム問答159より)

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