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これまでの説教

2017年11月26日  テサロニケ一 5:23〜28  
         「思いにまさる人生」  田村 耕造


              

  「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださ
 いますように。霊も魂も体も欠けのない者に、非の打ちどころのない者に
 してくださるように。」とパウロは言いました。平和をもたらして下さる
 神さまが、私たちを御心に適う者に変えて下さると信じていたからです。

ここでパウロがいっている平和は、神さまと人間の間の平和です。世界の
 平和、人間同士の平和の基になる平和です。創世記3章を読むと、人間は、
 ある時から、神さまの顔を避けるようになったとあります。それは、人間
 が神さまとの平和な関係を手放したということです。生きていく上で、無
 くてならないものを人は手放しました。


   人間はその状況でも平気でした。しかし、神さまは平気でおれませんで
 した。それで、この時と思われた時救いの手を差し伸べて下さいました。
 御子イエスを遣わして、私たちの罪を償ってしてくださいました。その
 ようにして、私たちが再び神さまと平和な関係が持てるようにして下さい
 ました。



2017年11月19日  テサロニケ一 5:12〜22  
         「喜び祈り感謝して」  田村 耕造

       
                   

   信仰に生きているということは、心の中に聖霊の火を頂いているという
 ことです。それで、自分で聖書を読む時、愛泉会などの学びをする時、ま
 た礼拝で聖書の言葉が分かって、嬉しくて心が燃えることが起こります。
 
  私たちの中で、聖霊の火が燃えているのでそう言うことが起こります。
 
パウロもそうでした。聖霊の火が燃えていました。それで、どういう状況
 に置かれても、祈りの中で、神さまが共にいて下さって、最善の道を歩ま
 せて下さっていると受け止めることができました。そしてどういう状況も
 、神さまから与えられたも
のとして感謝して受け入れて喜ぶことができま
 した。


   私たちも、パウロと同じように聖霊を頂いています。ですから、聖書の
 言葉が分かる時、他のどんなことより嬉しくなります。また、どういう状
 況でも、謝と喜びの心を持ちながら生きることができます。また、神さま
 を信頼して祈り続けることができます。私たちは、何とも幸いな者にして
 いただいています。




2017年11月12日  テサロニケ一 5:1〜11  
         「光の子らしく」  田村 耕造

                    

   パウロは、信仰に生きている者のことを光の子と表現しました。いい
 大人なのに光の子と言われるのはと思われる方があるかもしれません。し
 かし、神さまの前では大人も子供も大差ありません。どちらも神さまにと
 って手がかかり、主イエスという光を受けることが必要です。


   主イエスは、暗い夜道のような人生になりそうな私たちに明かりとなっ
 てくださいます。但し、サーチライトでのようではなく街燈のようです。
 先の方まで見える仕方ではなく少し先が見えるほどの照らし方です。
 ずっと先については、神さまを信頼して歩みなさいということです。


   私たちは、自分が光の子だとは思いにくいかもしれません。しかし、世
 の光である主イエスが関わって下さっています。教会を通して、み言葉に
 よって、聖霊によって、関わってくださっています。それによって、光の
 子にされます。そのことを信じて、確かな救いに与れる主の日を楽しみに
 しながら、光の子らしく生きていきましょう。



2017年11月5日  テサロニケ一 4:13〜17  
         「主にあって眠る幸い」  田村 耕造

                    

テサロニケ教会の中に、終わりの日を待たずにして、召される人たちが出
 始めました。それは考えてもいない事でした。すぐにも終わりの日が訪れ
 ると考えていたからです。人々は動揺し悲しみました。召された人たちは
 、主にお会いしていないので、救いに与れないように考えたからです。

 
   その人たちに向かって、パウロはこのような事を語りました。「信仰が
 ない人のように嘆き悲しまないように。私たちは、主の甦りを信じている
 者です。主の甦りを信じて召された人は、甦りの主に結ばれて召されまし
 た。ですから、死の後も主に共にいます。ですから、救いからもれてはい
 ません。」


   主が再び来られる時は、私たちが考えている時とは違うようですが、そ
 の時には、私たちは甦らされて何時までも主と共にいることになります。
 それは、幼い子供が、親と一緒にいる時のようなもので、私たちが一番安
 心して過ごせる状況です。やがての日、そう言う幸いな状況に置かれるこ
 とになります。




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