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これまでの説教

2016年1月31日 ヨハネによる福音書20:11〜18  
         「私たちも主を見た」     田村 耕造


              

  マリアは墓の中をのぞいては涙を流していました。しかし、その心が変
 えられました。主がマリアに近づいて声を掛けられたからです。主はそう
 やって、生きることに自信がなくなりかけていた者に寄り添われました。
 そして、イエスさまのことを、ラボニではなく、「主」と呼べるようにし
 て下さいました。


   マリアは、イエスさまのことを「主」と言えた時、主を失った悲しみか
 ら解放されたことでしょう。神さまが文字通りすべてのこと、生きること
 も死ぬことも御手の中に治めておられることを改めて信じて、大きな平安
 を得て、生きていこうと言う思いが強く湧いたことでしょう。


   マリアは、イエスさまを「主」と表現しました。私たちもそう表現しま
 す。それは、この方が、私たちにどこまでも関わって下さり、支えようと
 して下さるからです。そして、実際その力を持っておられるからです。そ
 ういう方と、私たちは兄弟の関係を持って生きていける。同じ父を持って
 生きていける。何と心強いことでしょうか。




2016年1月24日 ヨハネによる福音書20:1〜10  
         「光と救いと命」     田村 耕造


                   

  主が愛しておられた弟子は、主の甦りを信じましたが何事もなかったか
 のように家路につきました。しかし、神さまの働きで事が起こっていると
 気づいたなら、主の甦りの出来事は私たちの心の中に納めておけるもので
 はなくなります。それどころか、私たちの生涯を変えてしまう事も引き起
 こします。パウロの人生は、甦られた主との出会いでまるで変りました。

 福音書を書いた人にもパウロと同じなことが起こりました。
主の甦りを信じる者にされたことで、変えられました。福音を書かずにお
れなくなりました。その「福音」とは、主の復活の出来事に、私たちの人
生を救うものがあるという事です。どんな状況でも、なお希望が持てるこ
とが示されたという事です。


 主の甦りの出来事で、この世界においては、私たち思いや願いではなく、
天の父なる神さまの御心こそ実現しているという事、父なる神さまには不
可能なことが何もない事が明らかになりました。その「福音」を聞くこと
で、私たちの信仰が、人生が甦ります。その出来事が日曜日ごとに起こり
ますようにと祈りましょう。



2016年1月17日 ヨハネによる福音書19:31〜42  
         「神の真実」     田村 耕造


            

  「主の十字架での死を目撃した者が、目で見た真実をあなた方に伝え

 る。」という事が書かれています。この真実とは、主の死とつながりが
 あります。それが、私たちがどうしても知らなければいけない神の真実
です。神の真実は、「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私たちを主の
十字架のもとに集めて覆い隠して神さまの正しい裁きから守って下さる」
というものです。神の真実は、神のご愛とつながっています。

 神さまは、私たちを守るために、ご自分は安全地帯にいて、そこから手
を伸ばして私たちを救うという事はなさいませんでした。ご自分の最愛の
御子を献げられました。ご自分にとって一番つらいこと、最も大きな犠牲
を払う事をされました。それがどれくらいすさまじいことであったかは、
自分の身に置き換えてみるなら少し分かってきます。

 私たちは、いくら自分にとって大事な人のためであっても、愛する家族
の命を犠牲にすることは考えないでしょう。しかし、父なる神さまはそれ
をされました。愛する御子を犠牲にしてでも、私たちを救おうとされまし
た。神さまのもとから迷い出た私たちを、どうしてもご自分の子として取
り戻したかった。そのみ心、ご愛、神さまの真実を信じて、今週の日々に
向かっていきましょう。



2016年1月10日 ヨハネによる福音書19:16〜30  
         「御心が成し遂げられる」     田村 耕造


               

   神さまが思いを込めて、この世に送り込まれた御子が、今まさに死んで
 いこうとしておられました。もう何もできなくなる、そう思えることが、
 起ころうとしていました。しかし、神さまにとっては、ご計画通りのこと
 が起ころうとしていました。主イエスが、罪のない方として死んでいかれ
 るので、神さまのご計画が実現しようとしていました。


  『この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、
 「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。』(28節)とあ
 ります。主イエスは渇きを覚えながら、死んで行かれました。そのように
 して聖書の言葉が実現しました。神さまが予定しておられたことが現実の
 ことになりました。


   人の目には、一人の大言壮語した男、「自分はユダヤ人の王だ」と言っ
 た男が、結局自分を救えないまま殺されていった。ただそれだけの出来事
 に見えたことでしょう。しかし、実はそこで神さまの御心が成し遂げられ
 ていました。生まれも育ちも違う者たち、性格も年も違う者たちが、家族
 のような関係を持ちながら生きていける道が創られていました。




2016年1月3日 ヨハネによる福音書19:1〜16  
         「この人を見よ」     田村 耕造


              

   ピラトが繰り返している言葉に目を留めたい。同じような言葉を繰り返
 しています。「見よ、あの男を」(4節)、「見よ、この男だ」(5節)、
 「見よ、あなたたちの王だ」(14節)。そういう言葉がもとになって、エ
 ッケホモ(=この人を見よ)という言葉が生まれました。それは、「神自
 ら身代わりになった人を見よ」という意味です。また、「私たちに降りか
 かるはずの苦しみを御自分に引き受けられた人を見よ」という意味です。

 14節に、「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった」とあります。
 正午ごろと言うのは、過越祭において、人間の罪の贖いのために、羊が屠
 られることが始まる時間でした。主イエスはまさにその時間に、私たち人
 間の罪が贖われるために、犠牲のいけにえとなる十字架刑の宣告を受けら
 れたことになります。


  主の苦しみと犠牲の上に、私たちの毎日があります。主の血が流されたこ
 とで、私たちは父なる神さまに顔を向けられるようになりました。そのこ
 とを思って、今年も十字架の主を見上げながら歩んでいきたい。そうする
 ことが、私たちの歩みを確かなものにします。



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