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これまでの説教

2015年6月28日 ヨハネによる福音書12:12〜19
                       田村 耕造


                   

  「王」という言葉から、皆さんは何を思い浮かべますか?住まいが立派
 であるとか、服装が立派であるとか、お金持ちであるとか、権威を持って
 いるとか、そういう事を思い浮かべるのでは。しかし、それらはいずれも
 主イエスには当てはまりません。それどころか、まるで逆です。僕の様な
 姿で生きられました。


  それが、今日の所で言うと、立派な馬ではなく、ロバの子に乗られた事に
 よく現われていました。主は衣食住に関する豊かさを手にしたいという欲
 望とはおよそ違う思いを持ちながら生きられました。ただひたすら、私た
 ちが人として本来の生き方を取り戻すことができるようにという事を願っ
 て生きられた。そして死なれた。


  その方を私たちは「まことの王」と呼びます。それは、私たちの日々の生
 活のことから始まって、あらゆることについて、最終的な力を持っておら
 れる方だからです。しかも私たちに対して愛情あふれる思いを持って下さ
 っている。信頼出来る方です。ですから、主イエスが自分に関わってくだ
 さっている事を見出す時、不必要な恐れから解放されます。そのことを心
 に留めながら新しい週を歩み始めましょう。




2015年6月21日 ヨハネによる福音書12:1〜11
                       田村 耕造


                

  ある信仰入門書に「救われるとは、この世の中で自分が幸せに生きること
 をいうのではなくて、…自分の生活の中に神さまの意志が貫かれること」
 と書かれていました。救われるとは、自分の思いや願いが二番目にされて
 、神さまの意志が貫かれることだと言っています。その事の中に、私たち
 が幸せに生きる道があります。


  今日は父の日ですが、私たちは肉の父以上に、天の父のことを思いたい。
 主イエス・キリストによって、天の父のご意志が私たちの人生を貫いてい
 ます。ですから、私たちは、罪人としては死んで、主の甦りの新しい命を
 いただいて生きる者とされています。その事の大きさを思えば、高価なナ
 ルドの香油も決してもったいなくない。それどころかとても足りません。

  マリアが、惜しみなく自分を献げている姿を思いながら、自分がすでに
 父なる神さまから頂いている恵みを心に留めたい。そして、父なる神さま
 が下さっているものにふさわしい感謝をささげる人生を送りたい。その思
 いを持って精一杯生きることが、父なる神さまに対する私たちの最上のわ
 ざです。




2015年6月14日 ヨハネによる福音書11:45〜57
                       田村 耕造


                    

  主イエスが、ラザロを甦らせるという光に溢れた業をなさった事で、人間
 の中の闇の部分があらわになりました。ユダヤ社会を動かしていた人たち
 の心の闇が現われました。彼らがユダヤ社会を動かし、神さまのみ業も彼
 らの手の中に置かれたように見えました。主の十字架の出来事まではそう
 見えました。


  しかし、主が甦られた事で、そうではない事が明らかになりました。本当
 は誰がユダヤ社会を動かし、何が起こっていたかが明らかになりました。
 エゴが中心にある私たちが救われる道が神さまによって創りだされていま
 した。全てはその事に向かって動いていた。それが明らかになりました。

 

  私たちは救われて変えられています。主の死と甦りによって、どのよう
 な日を過ごす時も、罪赦された者として過ごすことができます。罪の影を
 持たない者として生きていけます。神さまと愛し愛される関係を持ちなが
 ら生きていける。ですから、「自分は生きている」と実感できる人生を歩
 める。そういう者に変えられています。





2015年6月7日 ヨハネによる福音書11:28〜44
                       田村 耕造


                 

  主イエスが、ベタニア村に行かれました。「ベタニア」とは、「悩む者の
 家」という意味があります。私たちの日々は、嬉しいことや楽しいことが
 ある一方で、様々な悩みや苦しみに取り囲まれる生活でもあります。「悩
 む者の家」に住んでいると言えます。そういう者の所に、主イエスが足を
 運んでくださいました。それによって、ラザロが甦りました。私たちを変
 える出来事が起こりました。


  私たちは、死ですべてが終わってしまう者でした。死ですべてを失ってし
 まう者でした。信仰が与えられても、信じていることがいざという時に力
 を持たない不信仰に生きてしまう者です。しかし、主が私たちに近づいて
 下さったことで変えられました。

  ラザロがそうであったように、死んでも生きる者に変えられました。死か
 ら命に移されました。肉体的な命とは別の命をいただきました。それによ
 って、私たちの身に何が起こっても、父なる神さまとのつながりを失うこ
 とがない者にされました。それが今の私たちの状況です。何とも心強い状
 況の中で生きていけるようにして頂いています。




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