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これまでの説教

2015年5月31日 ヨハネによる福音書11:1〜16
                       田村 耕造



                   


   ラザロはすでに死んでいました。主はそのことを知っておられながら、
 あえて[眠っている]という言い方をされました。それは、ラザロの死は
 、主イエス・キリストにあって眠っているという言い方がふさわしかった
 からです。やがての日、ラザロは、主にあって目を覚ますからです。


  主の視野の中にある人の死は眠りです。主が死を排除なさったからです。
 やがての日、主にあって目覚めさせられるからです。ですから、ラザロは
 、病を得て実際死を迎えながら、その存在は死で終わりません。やがての
 日まで、キリストにあってしばし眠っているだけです。


  私たちも事情は同じです。たとえ重い病を得て死を迎えても、死で終わり
 ません。やがての日まで、キリストにあって、しばしの間眠るだけです。
 ですから、永眠ではありません。主に愛され、主につながっている者の死
 は、ひと時の眠りです。そして、やがての日、主にあって目覚めさせられ
 ます。






2015年5月24日 ペンテコステ礼拝
                       田村 耕造

      
             聖霊とは何ですか

 聖霊の働きというのは、人が神に向って叫び、神を信じて心を神に向け
 る時受ける神の働きであって、何も神を信じていない人には、全然経験す
 ることが出来ません。神に心を向け、神に祈る者にのみ働くものです。で
 すから、聖霊とは、神を信じている時だけに経験できるものです。誰もが
 信仰をもたなくても知ることができるものではありません。


  聖霊は、知性によって知ることができるものではありません。聖霊は見る
 ことのできるものでもありません。経験することしかできません。しかも
 、神を信ずる者しか経験することができません。また、自分が聖霊を受け
 たからとて、側の人に同じような経験を求めることはできません。


  私たちの信仰は、聖霊を受けてはじめて本当の信仰になります。聖霊が私
 たちの心に信仰を起こし働く時、「私が神を信じる」のでなく、「神が私
 を信じる者に変えてくださる」事になり、私たちの信仰は、本当の信仰に
 なります。自分の理解力で信じる段階から、聖霊によって信じる段階に移
 されます。 

                         参考「信仰入門」木下順治著


2015年5月17日 ヨハネによる福音書10:31〜42
                       田村 耕造


           

   人々にとって、主イエスを、神の子と信じることはとても難しいことで
 した。『この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤ
 コブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住
 んでいるではないか。…このように、人々はイエスにつまずいた。』(マ
 タイ13:56-57)とある通りです。


  主イエスが、身近な人過ぎて理解できませんでした。私たちと本当に一つ
 になって下さったので理解できませんでした。それだけでなく、私たちが
 罪に生きているために、自分の物差しが捨てられないために、主イエスを
 どうしても受け入れることができませんでした。


  しかし、主イエスという方を、与えられたまま受け入れなければ、私たち
 は地に足が付いた生き方をする事ができません。与えられたままの主イエ
 スを受け入れることができますようにと御霊の働きを祈り求めましょう。
 そして、不信仰という罪を赦して頂いているばかりか、祝福された人生を
 歩めるようにして頂いていることを心から感謝いたしましょう。



2015年5月10日 ヨハネによる福音書10:22〜30
                       田村 耕造


        

  私たちは、罪人として生きています。神さまがなさる事を素直に受け入
 れる事ができません。その為に迷い出るような歩みになります。そういう
 私たちに、神さまの方から近づいて下さいました。神さまを頼りにすれば
 良いことを示して下さいました。


  私たちは、自分で自分を頼りにしなくてよいのです。自分が自分の救い主
 や慰め主や保護者にならなくてもよいのです。自分が自分の人生に意義や
 意味を与える者とならなくてもよいのです。ですから、不安や気遣いのた
 めに身をすり減らさなくてよいのです。私たちは、そのままで、神さまに
 肯定され、愛されています。生きている時も死ぬ時も、神さまに自分を託
 してよいのです。


   神さまに自分を託せばいい。そうすることで私たちは永遠の命を得る者
 にされます。神さまとの絆が、永遠に切れない者にされます。どんなこと
 があっても持ちこたえて、最後は起こった出来事を感謝できる者にされま
 す。そういうしなやかで強い生き方ができる者にして頂けます。




2015年5月3日 ヨハネによる福音書10:1〜21
                       田村 耕造


              

   私たちは、自分の力や知恵だけでは、命につながる道を見いだせません
 。まるで視力が弱い羊そのままです。主は、そのような私たちの前に立っ
 て導こうとして言われました。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊
 のために命を捨てる。」「私についてきなさい。私があなた方の羊飼いだ
 。その何よりのしるしは、私はあなた方のためなら命を捨てる事ができる
 。」そう言われました。


  主イエスが、私たちの事を羊に例えられた意味は深いものがあります。私
 たちは、主イエスという〈羊の門〉を通ることで、永遠の命を得ます。神
 さまとの関係が失われることがないという恵みをいただきます。いろんな
 ことがあっても、自分には羊飼いがいると信じて安心することから生きる
 ことを始めていけます。


   主イエスは、私たちを命につながる人生へ導き入れて下さいます。主イ
 エスは、私たちのまことの羊飼いです。私たちを見捨てることは決してさ
 れません。どこまでも共に歩んで下さいます。死を迎えても共に歩んで下
 さいます。そのことを信じて平安を得ることからこの週も過ごし始めまし
 ょう。



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