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これまでの説教

2015年3月22日 ルカによる福音書15:11〜32
                         田村 耕造


  見た目には、まるで反対の行動をとっていた兄弟ですが、父親から心が
 離れていたという点では同じでした。そのような二人を、父親は公平に愛
 していました。そして、二人が自分と共に生きることを喜ぶ日が来ること
 を待ち続けました。弟にまずその日が訪れました。それで、大いに喜びま
 した。


  主イエスは、父親を通して、天の父なる神さまが私たちをどれ程深く愛し
 て下さっているかを知らせようとされました。父なる神さまにとって、私
 たちを失う事は考えられない事でした。それで、何としてでも私たちを我
 が子として取り戻そうとされました。十字架の出来事はそれを示していま
 す。


  父なる神さまは、私たちの想像を遥かに超える愛情を私たちに注いでくだ
 さっています。ですから、御自分が一方的に犠牲を払う仕方で、私たちを
 取り戻そうとされました。そのみ心を受け止めて、父なる神さまの子とさ
 れているしあわせを味わいながら日々過ごしていきましょう。


                   



2015年3月15日 ヨハネによる福音書8:39〜47
                         田村 耕造

 
            

  今日の所は、父をめぐる話です。人間に対して最も権威を持っている方
 にちゃんと向き合って生きているかという話です。それは、言い換えると
 、天の父なる神さまのことを、私たちを愛して下さる慈愛の父として信じ
 ているかという事です。


  「信仰入門 12」の中にこういう事が書かれています。『「私はお前を信
 じているぞ」。神は私たちにそう仰言っておられます。われらは神の不肖
 の子です。…神の期待に全くそれた人生を歩んでいます。しかし、神はな
 おもわれらを捨てず、われらに期待をかけておられます。それが「神の真
 実」です。…「神への信仰」とは、実にこの神の真実に答えることなので
 す。』


 主イエスは不肖の子のような私たちが救われることをひたすら願われまし
 た。それで、罪を犯しておられないのに十字架刑に向かって黙々と歩まれ
 ました。その歩みによって、私たちは「神への信仰」に生きることができ
 るようになりました。天の父なる神さまを、慈愛の父として信じる者に変
 えられました。




2015年3月8日 ヨハネによる福音書8:31〜38
                         田村 耕造

 
           

  主は言われました。「わたしの言葉にとどまるならば、…あなたたちは
 真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」真理とは主イエスのこと
 です。主イエスという言葉に基づいて生きようとすることが、私たちを自
 由にします。

 思えば、私たち人間は、神さまのかたちに創られ、自由を頂きました。
 しかし、その自由を神さまに背くことに用いました。その為に、罪の振り
 回されるようにして生きる他なくなりました。そういう私たちのために、
 主イエスという真理の言葉が与えられました。この言葉を拠り所に生きよ
 うとすることで、私たちは自由に生きる者に変えられます。

 自由に生きる。それは、色々課題を抱えていても、どこかその課題から
 解放され突き抜けて、心軽く自由に生きることを言います。振り返るなら
 、私たちは、たとえば地域社会との付き合いにおいて、また、親族との付
 き合いにおいて、自由に生きているのではないでしょうか。みんなと同じ
 ことをしなければならないという思いから自由になって生きているのでは
 ないでしょうか。



2015年3月1日 ヨハネによる福音書8:21〜30
                         田村 耕造


          

 主は言われました。『わたしは去って行く。あなたたちは私を捜すだ
ろう。だが、…わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない」
主は、人々の罪のために、ご自分しか受け止められない死に向かわれま
」した。誰もついていけない所に向かわれました。十字架に向かわれま
した。そしてその歩みを歩みきって下さいました。その事の上に私たち
の毎日があります。

 これから聖餐に与ります。主は、弟子たちとの最後の食事の席で、
パンを取って、「これは私の体である。」と言われました。盃を取って
、「この杯は私の血である。」と言われました。そこには「これが私で
ある」、「私はある」という言葉が響いていました。私は神そのもので
あるという言葉が響いていました。

 神そのものである方が、私たちのために死に向かって下さいました。
その歩みによって、私たちはもはや罪人として死ぬことはない者と
されています。それどころか、命の道を歩める者とされています。
父なる神さまの子として愛される者にされています。
その恵みの大きさを心に留めながら、聖餐に与りたい。
そして、主の十字架に支えられる歩みを新たに始めたい。




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