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これまでの説教

2015年2月22日 ヨハネによる福音書8:12〜20
                         田村 耕造


          

  「私は世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持
 つ。」主イエスがこの言葉を語られた時、ご自分が暗闇の様な状況の中に
 いると感じておられたのではないかと思います。主を捕えようとする人た
 ちがいたからです。主はまことに厳しい状況の中で、希望を与える言葉を
 語られました。しかしそうだからこそ、信じられる言葉でした。


  主イエスは、人々の光になろうとされました。日々の糧の事、将来のこ
 とで希望が持てない人たちのために、救いの手を差し伸べられました。私
 たちが本気で拠り頼むなら、私たちを支え切ることができる言葉を語って
 くださいました。私たちが光の中を歩めるようになる言葉を語って下さい
 ました。

 レントの時を過ごし始めました。主イエスが命の危険を感じながら十字
 架に向かって下さったことで、私たちは将来への確かな明るさの中を歩
 むことができるようになりました。主の言葉を、そのまま受け入れて、
光の中を歩みたいと思います。主イエスという光に照らされるなら、暗 
闇の様な状況に置かれたとしても、なお足元が明るい歩みが出来ます。




2015年2月15日 ヨハネによる福音書8:1〜11
                         田村 耕造


             

  主は重い罪を犯した女に言われました。「私もあなたを罪に定めない。
 」それは、「私もあなたを裁かない」という意味でした。人を裁く資格を
 持っておられた方がそう言われました。ですから権威があるひと言でした
 。裁かれても仕方がない者を無条件で赦すと言われました。女の生涯を支
 える覚悟をもって言われました。福音でした。


  主のひと言は、例えていうなら、病院で心配しながら検査結果を待ってい
 る人に、お医者さんが、「大丈夫です。心配なものは見つかりませんでし
 た。」と言ったようなものでした。日ごとの生活で、また人生に何かと不
 安を持ってしまう私たちに向かって、主は安心できるひと言を言って下さ
 いました。


  「私もあなたを罪に定めない。」それは、「あなたの一番深刻な問題は解
 決されている!」という言葉でした。また、「あなたは、罪あるままに天
 の父なる神さまに受け入れられている」という言葉でした。私たちは、た
 だ、主イエスによって、そういう者にしていただいています。その福音を
 しっかり聞き取りたいと思います。そして、日々目の前に起こることに追
 われるような生活であっても、浮き足立たないで平安な心でそれら一つ一
 つに向き合いたいと思います。




2015年2月8日 ヨハネによる福音書7:37〜52
                         田村 耕造


                 

  ある年齢以上になると、体は水分を欲しているのに、水を取りたいと思わ
 ないという事が起こります。実際は渇いているのに、渇きの自覚がない。
 まるでそのような事がユダヤ社会で起こりました。主イエスを必要として
 いるのに、必要を感じませんでした。そういう人たちに向かって、主イエ
 スは言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲
 みなさい。」


  主イエスから水を飲むという事は、主イエスを信じるという事です。この
 方に、人生の救いがあると信じることです。その人は、心の底に枯れるこ
 とがない泉を持つ事になります。色々大変なことがあっても、心の奥底に
 平安な川が流れている。神さまがなさるままを受け入れる。その結果、実
 際何とかなっていく。その経験の積み重ねが信仰に生きる力になります。

  これは、決して人生を安易に楽天的に考えている生き方ではありません
 。そうではなくて、人生には、人間の努力ではどうにもならない面がある
 という所に立っている生き方です。運ではなく、主イエスを下さった神さ
 まが決定権を持っておられるという人生の真実に立つ生き方です。しなや
 かで折れない生き方です。もっとも現実的な生き方です。



2015年2月1日 ヨハネによる福音書7:25〜36
                         田村 耕造


                  

   30節に、「人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなか
 った。」と書かれています。人々は主イエスに対して憎しみを覚え捕えよ
 うとしました。しかし、誰も手は出しませんでした。不思議な話です。イ
 エスの時はまだ来ていなかったからです。過ぎ越しの祭の時までは、人々
 がどんなに主イエスを捕えたくても捕えることはできませんでした。


   その事は、私たちにある真理を告げています。それは、主イエスを遣わ
 された神さまが「時」を支配しておられるということです。時を支配され
 、出来事を支配しておられます。私たちはその中で生きています。それは
 、丁度大きな船に乗っているようなものです。私たちは、船の中をあちこ
 ち自由に動くことができます。けれども、船全体は、船長さんの命令で一
 定の方向に動いています。


   主イエスを遣わされた神さまが、この世界を治めておられます。動かし
 ておられます。ですから、私たちは神さまの時の中を生きています。その
 事が、主イエスが捕えられる時をめぐって、顕われました。主は神殿で公
 然と語られましたが捕えられませんでした。イエスの時、神の時がまだ来
 ていなかったからです。



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