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これまでの説教

2015年11月29日 ヨハネによる福音書17:20〜26  
         「畏れ多い招き」       田村 耕造


                

  
   主は祈られました。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしが
 あなたの内にいるように、彼らもわたしたちの内にいるようにしてくださ
 い。」それは、私たちを父なる神さまとご自分の関係の中へ招いて下さる
 祈りでした。父なる神さまと主イエスとの交わりに中に入れられ、愛され
 ることで私たちは救われるからです。 


   畏れ多いことですが、私たちは、天地を創造された大いなる神さまから
 招かれています。子として愛されています。神さまに似た者に造られ、限
 りないご愛を注いで頂いています。その何よりのしるしは、主が私たちの
 為に、十字架で死ぬために、この世にお生まれ下さった事にあります。


   アドベントに入りました。クリスマス、それは、主イエスの誕生をお祝
 いする時です。しかし同時に、父なる神さまが御自分達の交わりの中に私
 たちを招き入れるために、主をお遣わしくださった事を覚える時でもあり
 ます。クリスマスへの日々、父なる神さまに愛され、神さまの交わりの中
 へ招かれている事への感謝の思いを深める日々にしたい。それがクリスマ
 スへの何よりの備えになります。




2015年11月22日 ベテル修養会
                       


『たましいの慰め、こころの余裕』(堀 肇著)より


 人は、極度の苦悩の中では、「慰められることを拒む」という状況、つ
 まり慰めを受け取る事ができないような状況があるのです。

 …こうした時、隣人である私たちにはいったい何ができるのでしょうか。
 月並みな答えかもしれませんが、やはりまず「沈黙」を取り上げたいと思
 います。


  …言いたいことがあるけれど黙っているというのではなく、つらくて何も
 言えず、ただ黙って共にいるしかない、という「沈黙」でなくてはならな
 いような気がするのです。そして、このような沈黙は相手に対する思いや
 りや愛と深く相関しているように思います。


  …もう一つ留意したいことは、神の慰めを「待つ」という事です。私はこ
 の慰めについて考えるとき、かつて愛読したカール・ヒルティーのことば
 をいつも思い起こします。

  『「元気を失うな勇敢な人であれ、慰めはしかるべき時に必ず来るであろ
 う。」この老トマス・ア・ケンピスの言葉は、苦しい時期にしばしば、私
 の心の中で、呼びかけられた。そして、やがて慰めが必ず与えられた。も
 っともそれは大抵、慰めが切に必要な時になって初めて与えられるもので
、決してそれ以前ではなかった。』     本文11-13頁
 
                        


2015年11月15日 ヨハネによる福音書17:6〜19 
                       田村 耕造


            

  「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしは
 みもとに参ります。聖なる父よ、…彼らを守ってください。」と主は祈ら
 れました。弟子たちは、主の言葉を信じたことで世に属さないものになり
 ました。世に憎まれる者になりました。それに堪えられなくなって、以前
 の彼らに戻ってしまうのではないかと心配されました。


  この世で信仰に生きることは、確かに容易でない面があります。「世」に
 は、私たちの手に負えない力が存在しているからです。私たち自身の中に
 も、手におえない「世」が存在しているからです。しかし、父なる神さま
 は、主を遣わして下さることで、この世での生活を大変すぎないものにし
 て下さっています。


   主は、私たちの考えでは、勝てるはずがない罪の力に勝たれました。世
 の悪意や憎しみにも勝たれ、死ですべてが終わるという常識をくつがえさ
 れました。そうやって全てに勝利されました。その主が、私たちのために
 祈って下さっています。その中で、私たちは毎日生きている。ですから、
 どんなに大変なことが起こったとしても大変すぎることにはなりません。



2015年11月8日 ヨハネによる福音書17:1〜5
                       田村 耕造



                    

   主は、「父よ、時が来ました。」と言われました。罪人が父なる神さ
 まに立ち帰る道を開くために、事を成し遂げる時、十字架の時が訪れたこ
 とを自覚されました。その心には、召集令状が届いて戦地に赴く兵士の覚
 悟の様なものがありました。自分の命をみ業の為に献げる潔さがありまし
 た。


   主の目には、十字架の向こうに、人間が父なる神さまとの関係を回復す
 る道が見えていました。ですから、まるで、嬉しい時を迎えるように進ん
 で十字架に向かおうとされました。ただ私たちのためにそうされました。
 その思いと献身によって、私たちのような罪人が永遠の命に与れる道が
 開かれました。


  「永遠の命に与る」ことは、父なる神さまのお考えでは、人生で一番大事
 な事です。そうであるなら、私たちは、自分の願いや考え方に逆らってで
 も、神さまに合わせて、「永遠の命」をいただく事を願う者でありたい。
 そして、父なる神さまと主イエス・キリストを「知ること」「愛すること
 」「信じること」が、私たちの「生きること」と一つになる事を祈り願い
 ましょう。




2015年11月1日 ヨハネによる福音書16:25〜33
                       田村 耕造


                   

   「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたし
 は既に世に勝っている。」と主は言われました。信仰生活は、平穏無事な
 生活という訳に行かないと言っておられる。実際大変な面がある。しかし
 、信仰に立って乗り越えようとすることで、思いがけない人生の喜びを味
 わい知る事になります。主は私たちをそういう人生へと導こうとして下さ
 る。

  主は、この世の生活でいろいろな苦労や闘いがある私たちの良き理解者
 として共に闘ってくださいます。それだけでなく、私たちができない闘い
 を、私たちに代わって、それも命がけで闘ってくださいました。そして勝
 利されました。その勝利を私たちに味わわせたいのです。


  「わたしは既に世に勝っている。」と言い切れる方が、私たちに深く関
 わって下さっています。私たちは、世の只中で生きていますが、それと共
 に主イエスの中で生きています。死に勝利された方、諸々の誘惑に勝利さ
 れた方の中で生きています。この方の守りと赦しの恵みの中で生きていま
 す。その事を心に留めながらこの週も過ごしていきたい。




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