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これまでの説教

2015年10月25日 ヨハネによる福音書16:16〜24
                       田村 耕造


             

  主イエスには、御自分の死の向こうの事が見えていました。死と甦りと
 昇天が一つの事として、喜びにつながっていることが見えていました。そ
 れで、御自分の死の恐れや弟子たちと別れなければならないという悲しみ
 を感じ始めておられた時に、間もなく喜びの時が訪れる事を語られた。

 一旦どん底に突き落とされるような経験をする弟子たちが、その少し後に
 は、一気に天の登るような喜びを味わう事になると言われた。弟子たちに
 はまだ見えていない喜びでした。深い悲しみが、たとえようもない喜びに
 つながっている事を知らせてくださいました。その為に、お産の産みの苦
 しみの話をされました。


  この世の生活で、私たちはそれぞれに悲しみを抱えています。しかし、そ
 の悲しみは、決して悲しみで終わりません。喜びにつながる。主イエスの
 死は、敗北や挫折ではなくて、私たちが古い自分に死んで新しい命、天か
 らの命、天の父なる神さまにしっかりつながる永遠の命をいただく道が開
 かれる出来事でした。私たちが、悲しみを乗り越えて、喜びに生きる者に
 変えられる出来事でした。信じて、日々の生活の大きな拠り所にしましょ
 う。




2015年10月18日 ヨハネによる福音書16:4〜15
                       田村 耕造


           

  信仰生活は天の父なる神さまに何もかも委ねて生きるという事です。
一番信頼できる方に身を預けて生きるという事です。ですから、どんな時
も大きな平安を得て過ごすことができるはずです。ところが、現実はそう
生易しくありません。弟子たちは、主が間もなくおられなくなることを知
らされると激しく動揺しました。

  そのような弟子たちに向かって、主は希望を語られました。がっかり
している場合ではないと言われた。目の前の状況よりも、神さまが何をし
ようとしておられるかに目を留めなさいと言われた。私が、あなた方を見
放すことがないことを信じなさいと言われました。

 
   私たちの目には、希望が断たれたと見える状況も、主イエスには、神
さまの御業が更に確かなものになっていく幸いな状況でした。どういう状
況も、神さまのご支配の中で起こったものだからです。しかもそれは、私
たちの救いとつながりがあるものです。私たちの救いのための御業が、今
日も明日も続いていきます。その事を信じて、この週も平安をいただいて
歩み始めましょう。




2015年10月11日 神学生の説教に際して
                       


           聖書における病気と信仰

 聖書において病気は、病む人の人格全体と神との関係から把握されます
 。人間はもともと神の交わりの相手として造られましたが、造られた目的
 からはずれて、神の呼びかけに応答しない時、つまり神から離れ神に背い
 ている時に、「シャローム」は破壊され、その人格は損なわれるのです。
 しかも神に対する背反は、人によってたまたま起こるという事ではなく、
 人間にとっては根深く、手に負えない状態になっています。


  これが、「シャローム」に逆らう現実であり、聖書はこれを罪という言葉
 で表わしています。罪の結果、死は神との関係の断絶をもたらす恐るべき
 とげとして人間の生に突き刺さり、力を振るっています。病気は人間が罪
 と死の力の下にあることの印の一つです。聖書においては、人間の罪に対
 する神の怒りがしばしば病気を引き起こしています。


  けれども、罪と死が聖書の最後の言葉ではありません。病気も人間が逃れ
 る事ができない宿命ではありません。神は深く重い人間の罪を赦し、病気
 を癒し給います。ヒゼキヤに与えられた「見よ、私はあなたを癒す」(列
 王下20:5)との神の言葉は、神が罪ある人間を高所より見下して裁き捨て
 おく事をせず、罪と死と病という現実に自ら関わって、「シャローム」を
 打ち立てようとされたことを意味します。 
     …「病気と信仰」(キリスト教のポイント12 柏井 創著)より



2015年10月4日 ヨハネによる福音書15:18〜16:4
                       田村 耕造


          

 日本社会は、何事も横並びという言葉が当てはまる社会です。何事も皆
 と一緒が良しとされます。人と違う事をすることは、この社会では自分を
 生きにくくします。しかし、だからと言って、私たちは周りの人たちと何
 事も一緒という訳には行きません。周りの人たちとは異なる生き方を神さ
 まから示されたからです。それも、多くの人たちの中から選ばれる仕方で
 示されたからです。

 人として、筋を通す生き方を神さまから示されました。礼拝は欠かせない
 事だと知らされました。ですから、色々なことがあっても、毎週礼拝を守
 ろうとします。その生き方は、周りの人たちとは違う生き方ですから、居
 心地がいいとは言えません。しかし、止めるわけにはいきません。


  居心地が良くない分、自分の生き方について、これで本当に良かったのだ
 ろうかと思うことがあるかもしれません。そのような時、私たちの信仰生
 活は、世の人たちの中から選び出されたことで始まった事を心に留めたい
 。私たちを選び出した主が、責任をもって私たちの人生を守り抜いて下さ
 います。その事を信じて、この週も、私たちらしい歩みを続けたい。

 世に在って、世に習わず、世を離れず、世から選び出された者らしく生き
 て行きましょう。




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