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これまでの説教

2014年4月27日 ペトロの手紙一4:1〜6
                          田村 耕造


  私たちは、それぞれの仕方で信仰に導かれました。その時、神さまを一番に考
 える生活を願ったはずです。「人間の欲望にではなく神の御心に従って生きよう」
 そう思ったはずです。その思いが、時間の経過とともに薄らいでしまいます。私た
 ちの弱さです。


  しかし、主イエス・キリストは、そういう私たちの弱さを補って余りあることをして下
 さいました。私たちのために、罪との関わりを断つ闘いを十字架の上でなさいまし
 た。そして、勝利されました。それは、私たちが罪の誘惑に勝って神さまを一番に
 した生活ができるようになるためでした。


  主イエスは、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになるのですか?」と言わ
 れた時、私たちに代わって、人間にとって克服が最も難しい不信仰と闘って下さっ
 ていました。そして、その闘いに勝利されました。その勝利の中に私たちを生かそ
 うとして下さっています。その為に日々とりなして下さっています。その事を信じて、
 礼拝ごとに新しい覚悟を取り戻して、いつもの生活に向かっていきましょう。


                                 



2014年4月13日 ペトロの手紙一3:17〜22
                          田村 耕造


 主イエス・キリストは、天においても、地においても地の下においても
 、大きな力を持っておられます。その力を持って私たちを何とかして神さ
 まの元に導こうとして下さいます。私たちがどういう状況に置かれたとし
 ても、私たちを追い求めて下さいます。


「どこに行けばあなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御
 顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰
 府に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海
 のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし御手をもってわたし
 を導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる。」(詩編139:8-10)


 この詩編の言葉は、父なる神さまの私たちに対する熱い思いを表現してい
 ます。父なる神さまは、私たちがどういう状況にいても、私たちを追い求
 めて下さいます。私たちが、神さまにつながる者となることに務めて下さ
 います。私たちを愛する神さまの心は、片時も途切れることがありません
 。その事を信じるもっとも確かな手がかりが十字架の出来事です。


               



2014年4月20日 イースター礼拝
                          田村 耕造


イースター(復活祭)とは

 キリスト教最大のお祭りは、クリスマスではなくイースターです。キリ
 スト教は、イエス・キリストの誕生を祝うことからではなくて、キリスト
 の死を示す十字架をシンボルとし、死から甦られた日を覚えることから始
 まりました。また日曜礼拝も日曜日に主が復活されたことに由来します。

イースターを祝う日は、毎年変わります。それは、主イエスが十字架に付
 けられる前夜の「最後の晩餐」は、ユダヤの民間暦(一種の太陰暦)のニ
ーサーンの十四日でしたが、その暦は年ごとにかなりずれがあるからです。

それが何時の頃か(一説によれば7~8世紀頃)春分の後の最初の満月
 (ニーサーンの月の十五日)の直後の日曜日がイースターの祝日となりま
 した。

イースターの呼び名は、二つの流れがあり、一つからイースター(英語)
 、オーステルン(ドイツ語)が生まれ、もう一つからパーク(フランス語
 )、パスカ(ギリシャ語)等が生まれました。

 イースターの象徴として卵が用いられるのは、死んだような外殻から命が
 生まれてくることの連想からです。また、ドイツの民話の中に、ウサギが
 良い子の所へ美しい卵を持ってきてくれるという話があることから、庭で
 卵探しをする習慣が生まれました。 《教会の暦より》


              



2014年4月6日 ペトロの手紙一3:8〜16
                          田村 耕造

                

  1世紀の教会は、まだ信仰の面で幼い状況でした。神さまのことや教会の
 ことで、悪く言われると黙っておれない人たちが何人もいました。しかし
 、ぺトロは言いました。「舌を制しなさい。」それは、天の父なる神さま
 がすべてを知って下さっていることを信じて、言い返すことから自由にな
 りなさいという事でした。


 言われたら言い返さないと真実がすたれ、教会を守ることができないと思
 いがちです。しかし、そうではありません。教会は、天の父なる神さまが
 守って下さいます。神さまのご支配のみ手を信じて、落ち着いて悪口を言
 う相手に応対できる成熟した信仰者になりたいものです。向き合う相手を
 間違わないようにしたいものです。


  レントの時を過ごしています。主イエスは、裁判の場面では、ひどい悪口
 を言われ侮辱されました。しかし、主イエスは何も言い返すことをなく、
 沈黙を守って舌を制されました。天の父なる神さまは、すべて知って下さ
 っているという思いの中に生きておられたからです。その姿に習いたい。
 そして、神さまの前にいつもいい日を過ごしていきたいと願います。



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