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これまでの説教

2014年1月26日 使徒言行録 3:1〜10
                          田村 耕造


  人からの施しをあてに日々暮らしている男がいました。もはや、自分の力
 で生きることは考えていなかったように思います。ある意味人生を投げ出
 していたと言える。そういう男を、ぺトロは立ち上がらせようとしました
 。人から施しを受けることしか考えない生活から、立ち上がらせようとし
 ました。


  ぺトロが、「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩き
 なさい。」と言うと、男は立ち上がり、自力で歩き始めました。その出来
 事によって、彼の心はまるで変わりました。神さまに向き合う心が与えら
 れました。そうやって、彼の人生に光が差し込みました。彼は金銀にまさ
 るものを得ました。


  私たちも、この男のように、自分の思うようにはならない不自由さを何か
 と抱えながら生きています。しかし、そういう私たちに向かって明るい陽
 が差し込んでいます。主イエスが私たちに与えられたからです。その出来
 事を拠り所にして、神さまが向き合っていて下さると信じるなら、いろい
 ろあってもやっていけるようになります。立ち上がれるようになります。
 それを男が証してくれています。


             



2014年1月19日 ルカによる福音書 24:36〜53
                          田村 耕造



  主の甦りは、私たちにはあり得ない事です。信じられない事です。しか
 し、そうだからこそ、主は何度も弟子たちに現れて下さいました。手足を
 見せて下さいました。その手足には、十字架の出来事の印として釘跡があ
 ったことでしょう。そして、魚を食べられました。そうやって、主イエス
 はご自分の甦りを信じ易くして下さいました。

 
  それは、主の甦りを信じることで、心の目が開かれて、主の生涯のすべて
 が、私たちの救いに関わりがあったことがはっきり分かってくるからです
 。主の甦りによって、新しい関係が私たちと神さまの間に生まれています
 。神さまをいたずらに恐れる必要がなくなっています。たとえば、罰が当
 たると言った恐れから解放されています。


  主イエスが、私たちの代わりに罪人として裁かれ殺され、しかし甦られ
 たことで、私たちは、罰せられることがないばかりか、終わりの日に神の
 元へ帰り、祝福の中に置かれることを待ち望みながら地上の命を終えるこ
 とがゆるされています。私たちは今そういう大きな恵みに与っています。
 神の豊かな赦しの世界に生かされている幸いを感謝しましょう。


             



2014年1月12日 ルカによる福音書 24:13〜35
                          田村 耕造



  主イエスが甦られたその日、二人の弟子が、エルサレムからエマオに向か
 っていました。二人はとても沈んだ気持ちで歩いていました。その二人に
 、甦られた主イエスが近づいて一緒に歩き始められ、会話が始まりました
 。そのうちに、沈んでいた心が元気になり、心が燃やされました。


  食事をしながら、会話が続きました。その席で、二人は、主イエスが甦っ
 ておられることに気付かされました。二人は、11弟子がいるエルサレムに
 向かいました。暗い夜道を嬉しさ一杯の心で急いだことでしょう。その心
 は、エルサレムからエマオに向かった時とはまるで違いました。


  私たちは、神さまが為さることがよく見えていないために、喜ぶべきこと
 が起こっているのに失望してしまうことがあります。しかし、そういう私
 たちのために、神さまは、エマオに向かう途中、主イエスが二人の弟子た
 ちと一緒に歩んで下さったような事をして下さいます。そして、私たちに
 は到底信じられない出来事、主の甦りが私たちを神さまに結び付ける救い
 のみ業であることに気づかせて下さいます。


                                



2014年1月5日 フィリピの信徒への手紙3:10〜16
                          田村 耕造



  パウロは、信仰に生きることを走ることにたとえました。神さまから賞を
 いただくためにひたすら走ると言っています。賞とは《上へ召される事》
 、《救いにあずかる事》です。更に言うなら、《自分が神さまに受け入れ
 られていると確信する事》です。それを得る為なら、「それまで心の支え
 にしていたものをきっぱり捨てて、ひたすら走る」と言いました。


  その走り方は、まるで求道者のようでした。天の父なる神さまが、死者を
 も甦らせる力と愛を持った方だという事をもっと知る者になりたい。その
 事によって、神さまとキリスト教会に対して罪の過去を持つ自分のような
 者が救われることを確信したいと願いました。その点で、自分はまだまだ
 だと思っていました。


  パウロは、ただ一つの事を拠り所に生きようとしました。自分がキリスト
 の恵みに捕らえられていること、ですから父なる神さまに愛され赦されて
 いる事を心の支えにして生きようとしました。それに習うなら、パウロと
 共に私たちも、やがての日、神さまに、「よくやった。あなたなりに良く
 生きた。」と言っていただくという賞にあずかれることでしょう。


                


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