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これまでの説教

2013年5月26日 ルカによる福音書19:41〜48
                            田村耕造



   主イエスは、都が見えてくると涙を流されました。歓迎している人たち
 が、手のひらを返したように、自分を見捨てるのが見えていたからです。
 しかし、それは、見捨てられるのが辛いからではありませんでした。そう
 ではなく、自分を受け入れない人たちが、滅びを経験することを前方に見
 ておられたからでした。


  人々は、主イエスを見て、神さまの働きを信じることが求められました。
 しかし、それが出来ませんでした。自分が望んでいる事だけ待っていて、
 神さまになさり方に背を向けたからです。思えば、主イエスは、お生まれ
 になったその時から、人々に背を向けられていました。


  私たちは毎日の生活で色々なことがあり涙を流すこともあります。主は、
 その点でも私たちと同じ者になって下さいました。主イエスは、私たちす
 べての者のために涙を流してくださいました。それは、私たちのことを本
 気で心配して下さっているしるしでした。そういう主イエスが、私たちの
 ために、今も天で執り成しの祈りを献げて下さっている事を思うと、ふと
 胸が熱くなります。


                    



2013年5月19日 使徒言行録22:22〜28
                            田村耕造

             
              ペンテコステ(聖霊降臨日)


   ペンテコステというのは、ギリシャ語で「第50番目」を意味する言葉で
 す。ユダヤ教最大の祭りである「過越しの祭り」から数えて50日目のお祭
 りなので、5旬節ともよばれますが、古くは、小麦の収穫感謝の日として
 守られていました。

 聖書によれば、キリストの十字架での死に落胆していた弟子たちが、復
 活されたキリストに出会い、励まされ、生きる力を回復していた頃、エル
 サレムの二階座敷にみんなが集まってお祈りをしていました。突然、激し
 い風が吹いてきたような音がその家一杯に響き渡り、舌のようなものが、
 炎の形をとって一人一人の上にとどまり、一同は聖霊に満たされたのでし
 た。

 その日々、地中海沿岸の色々な国や地方から、この五旬節の祭りにたく
 さんの人たちが集まってきていました。その人たちが皆、弟子たちの話す
 言葉が分かり、大いに感激して、その日洗礼を受けた人たちが3000人もい
 たという事です。イースターから数えて、50日目がこの日に当たり、この
 日は、今日キリスト教会の誕生日と言われています。

                                   「教会のこよみ」より





2013年5月12日 ルカによる福音書19:10〜27
                            田村耕造



   主イエスは、エルサレムの町に近づいた時、弟子たちに向かって言われ
 ました。「向こうの村へ行って、子ろばを引いて来なさい。」主は、その
 子ろばに乗られました。そして、全ての人の救い主になるために、まこと
 の王になるためにエルサレムの町を目指されました。


  私たちの考えでは、ロバの子に乗った姿は、王にふさわしくないように思
 います。立派な馬に乗られた方がふさわしかったのではないかと思います
 。しかし、主はロバの子を選ばれました!そのことで語っておられました
 。それは、「私はまことの王であるが、あなた方が考える王とはまるで違
 う王である」と。


  主は、人々がどんな王を期待しているか、十分お分かりになりながら、人
 々の思い描く王ではなく、御心にかなう王であろうとされました。主は愚
 直に、私たちが、自分では解決できない課題を私たちに代わって担おうと
 されました。それと共に、幾つもの課題に取り囲まれながら生きている私
 たちをそのまま受け止めようとして下さいました。そして、私たちの救い
 を前方に見ながら、子ロバに乗って進んで行かれました。


                            



2013年5月5日 ルカによる福音書19:10〜27
                            田村耕造



 
 主イエスは人々がせっかちに神の国の訪れを待ち望んでいるのを知って
 、あるたとえ話をされました。それは、神の国は、人々が期待しているよ
 うな早さでは訪れない。しかし、その時が来ることを信じて、主人からい
 ただいたものを生かす生活をコツコツと続けなさい」ということでした。


  ルターのある言葉を思い起こします。「たとえ明日、世界が終わりを迎え
 るとしても、私はリンゴの木を植える。」という言葉です。神の国がいつ
 訪れるかは、神さまにおまかせして、どういう時も地に足の着いた生活を
 しましょう。全てが失われても、一人の人間が、神さまの前に誠実に生き
 たという事実は決して失われることはないからです。


  神さまは、主イエスを、もう一度私たちの世界に遣わしてくださいます。
 その時が、必ず訪れることを信じて、神さまから頂いているものを生かし
 ながら、待つ生活を続けましょう。そうすることで、私たちのような者も
 、自分を神さまに合わせて生きることが少しずつできるようになります。

   
                   

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