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これまでの説教

2013年3月31日 ヨハネによる福音書21:1〜14
                            田村耕造


    

「キリスト教教理」永井春子著より

問89 イエスさまの十字架での死が、和解のみ業・罪のあがないの完
   成であることの証はなんですか。

答  イエスさまのご復活です。
   十字架の死が、罪のあがないの完成であったので、イエスさま
   は復活なさったのですし、復活なさったので、十字架の死の意
   味が生きたのです。


問90  では、十字架にかかられたかたは復活されたかた、復活され
   たかたは十字架にかかられたかたなのですね。

答   そうです。それは、表裏一体になっていて、切り離せないの
   です。

問91  イエスさまの復活は何を意味しますか。
答   イエスさまは、私たちを罪から解放してくださっただけでな
    く、私たちのために新しい人類の代表者として、新しい人間
    の初穂となって下さいました。


問92  その新しい人間とはどういう人間ですか。
答   神さまの栄光を表わす人間です。


2013年3月24日 ルカによる福音書18:9〜14
                            田村耕造


           

  主イエスは、対照的な二人のたと
え話をされました。一人は信仰生活に自信を持っている人。もう一人は全く自信がない人です。しかし、「
神さまに受け入れられたのは、信仰生活に全く自信が持てなかった人で
あった。」と言われました。信仰生活は私たちの努力や心がけではなく、
神さまの憐みからの賜物だからです。


 神さまを中心にして生きるという事は、愛されるに値しない自分が、見捨
てられないばかりか、心から愛されていることを信じて生きるということ
です。自分の力で生きているのではなくて、神さまの憐れみが自分に注が
れているからこそ生きる事ができるということを認めるということです。

 
神さまの前にうなだれる他ない私たちが、うなだれないで胸を張って生
きて行けるようになり、心揺らいでも土台が動かない平安を心の底に持ち
ながら生きて行けるようになりました。神さまの憐みそのものとして、主
イエスが与えられたことで、そのような者として生きる道が私たちに開け
ました。その恵みを知ることが、私たちの生涯の宿題です。




2013年3月17日 ルカによる福音書18:1〜8
                            田村耕造


                 

  主イエスの時代、神さまがこの世界を支配しておられることがはっきり
 する日が、すぐにでも来ると思う人たちがいました。その人たちは終わり
 の日がすぐには訪れそうにないと感じると信仰生活に失望し始めました。
 それで、主は言われました。「気落ちしないで、その日が来ることを信じ
 て待ちなさい。」


  私たちも、何時頃までには神さまがこういう事をして下さるのではという
 期待をつい持ってしまいます。それで、何も起こりそうにないと気落ちし
 ます。しかし、神さまのご支配の中で生きているという事は、祈っても、
 私たちが期待したタイミングで事が起こらない事があるということです。
 全ては、神さまのみ心に従って事は動くからです。


  レントの時を過ごしています。神さまの事の進め方に合わせられない私た
 ちのために主イエスが命を懸けてとりなしての祈りをして下さいました。
 それは今も続いています。ですから、私たちは赦され守られています。私
 たちは、神さまのご支配が行き渡る日を信じて、落ち着いて待つ生活を続
 けましょう。




2013年3月10日 ルカによる福音書17:20〜37
                            田村耕造


 主イエスは、ファリサイ派の人たちの質問に答えて言われました。「神の
 国は、どこかの地に国が建設されるような形で訪れるのではない。しかし
 、確かに訪れる。あなた方の中に訪れる。」と言われました。主イエスは
 、ご自分において、神の国が訪れていることを暗に語られました。


  また、「神の国の完成の時が、ノアやロトの時代に起こった出来事のよう
 に突然訪れる。」と言われました。それは、何時までも続くと思っていた
 生活が突然絶たれるようなことが起こるということです。私たちは、神さ
 まのご支配の中で生きているので、神さまにとっては普通でも、私たちに
 とっては突然でしかないようなことが起こります。


  私たちも、今の生活が何時までも続くように思う事があります。しかし、
 私たちの人生が清算され、神さまの筋道が完成する日が必ず訪れます。神
 さまのご支配の中で生きているので、その日が必ず訪れます。十字架の出
 来事を拠り所に、神さまのご支配を信じながら、その日を目指す生活をし
 ていきましょう。


                  



2013年3月3日 ルカによる福音書17:11〜19
                            田村耕造


  主イエスが、重い皮膚病の人たち10人を癒されました。しかし、お礼と
 喜びを伝えたのは1人だけでした。その人は、自分が癒されたのはただ神
 さまによるものと信じました。ですから、神さまを讃美しながら、主イエ
 スのところにやってきて、主イエスの前にひれ伏しました。


  この人については、「サマリア人だった」と記されています。この人は、
 ユダヤ人である主イエスに癒されたことに特別な喜びを味わいました。犬
 猿の中であったユダヤ人が自分を癒してくれた。神さまが働いて下さらな
 い限り、こんなことは決して起こらない!それを思うと喜びが込み上げて
 きました。


  この一人のサマリア人を通して、人が生ける神さまを身近に感じた時の喜
 びが記されています。《重い病を得た自分のような者にも大いなる神さま
 は目を留めて下さっていたとは、何と嬉しい事か!これからは、誰よりも
 まず、この神さまに向き合って生きていこう。》そう思いました。礼拝は
 その心から始まります。同じ思いが礼拝ごとに与えられることを願いまし
 ょう。

                 


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