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これまでの説教

2013年2月24日 ルカによる福音書17:1〜10
                            田村耕造

 

     

   主イエスは、僕として生きる事をお求めになりました。それは、言い換
 えると、自分には主人がいることを心得て生きて行きなさいという事でし
 た。主イエスは、ご自分が良い主人のもとで喜んで僕として生きておられ
 たので、私たちにもご自分と同じ生き方をお求めになりました。

  主イエスは、私たちに思いもかけない良い主人がいることを生涯をかけ
 て知らせて下さいました。その主人は、私たちのような取るに足りない者
 を、僕ではなく一個の人間として見て下さいます。それどころか、ご自分
 の大事な子としてみてくださいます。


  私たちは、主人が見えていない時は、いろいろと不安が生まれます。難し
 い事や辛い事ばかりが目につきます。しかし、主イエスの姿に目を向ける
 なら、あり得ないような主人が私たちのために居て下さることが分かって
 きます。そして、この主人、父なる神さまが、私たちのために既にしてく
 ださっていることを思うなら、私たちは「ふつつかな僕です。しなければ
 ならない事をしただけです。」としか言いようがありません。




2013年2月17日 ルカによる福音書16:14〜31
                            田村耕造


            

   主イエスは、金持ちと貧しい生活をしていたラザロのたとえ話をされま
 した。生活ぶりが対照的な二人でした。やがて二人とも死を迎えました。
 すると、二人の境遇は全く逆転します。金持ちは、陰府で苦しむことにな
 り、ラザロは天国に迎えられ幸せでした。


   金持ちとラザロの状況が、死の後、生前とはまるで逆になったのは、金
 持ちが、神さまもまわりの人も顧みずに、ただ自分を楽しませることだけ
 していたからではありません。その点では、ラザロも同じです。大事なこ
 とは、生前の状況も死後の状況もただ神さまのゆるしと憐れみによるもの
 だったという点です。


  人から憐れまれるようになったらおしまいという思いがある私たちです。
 そういう私たちにとって、人からであれ神さまからであれ、憐みを受ける
 ことは嫌いです。しかし、主イエスは金持ちとラザロの話を通して伝えよ
 うとして下さいました。それは、どんな人も神さまの憐みの中で生きてい
 るということです。その人生の奥義を心に留めながら新しい週を過ごし始
 めましょう。



2013年2月10日 ルカによる福音書16:1〜13
                            田村耕造


               

  ある金持ちの家の管理人が、無駄遣いしてしまいました。その事が主人
 に知れて男は窮地に立たされました。ただ少しの猶予期間がありました。
 その間、男は、自分の立場をフルに活用して、自分の将来に備えました。
 その彼のことを、主人は抜け目のない奴だとほめました。その話を弟子た
 ちにされました。


  この話が為された時、主イエスの目には、弟子たちは状況次第で信仰が揺
 らいでしまう弱さが見られました。初心を失いかけていました。主イエス
 がいなくなったら元の生活に戻るように思えました。それで主は、誤解を
 恐れずに、まことに刺激の強い話をなさいました。一種のショック療法で
 す。


   主イエスは、ずる賢い男の話を通して、弟子たちに覚悟をお求めになり
 ました。それは、この世的な生き方から救い出された者らしく生きる覚悟
 です。「神さまを拠り所に生きようと心に決めたのだから、どういう時も
 、信仰による知恵をフルに働かせて、神さまを信頼する生き方を貫きなさ
 い。それがあなた方にふさわしい生き方です!」と言われました。




2013年2月3日 ルカによる福音書15:11〜32
                            田村耕造

                    

  ある人に二人の息子がいました。弟息子は、ある時、父親から財産を分け
 てもらうとさっさと家を出てしまいました。親の目の届かい所での生活に
 あこがれ、幸せになれると思いました。しかし、お金が無くなり食べる物
 にも困ることになって、自分が間違った生き方をしていることに気づきま
 した。


  彼は、父に厳しく叱られることを覚悟しました。父とは親子の縁が切れ
 ても構わない、雇人の一人として働かせてもらえればそれでいい。ともか
 く、実家に帰って人生をやり直したい。ただただそれを願って懐かしい家
 に向かいました。まだ遠く離れていたのに、父は息子を見付けて

 走り寄り大歓迎しました。

   身勝手な生活をした息子を大歓迎する父親の姿は、ただ甘いだけの父親
 に見えます。兄が訴えているように、依怙贔屓や不当な愛を感じてしまい
 ます。しかし、それは、正当な愛し方をしようとすると愛する対象になら
 ない私たちを愛するための神さまの配慮に満ちた愛し方でした。そして、
 不当な愛し方に筋を通す為に最愛の御子を犠牲にされました。



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