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これまでの説教

2013年9月29日 ルカによる福音書22:47〜53
                            田村耕造



 ユダの裏切りによって、主イエスが捕えられそうになると、弟子たちはひ
 どく恐れました。私たちは、神さまのご支配を信じていながら、色々な事
 を怖れながら生きているように思えます。そのような時、私たちは神さま
 の時を生きていません。自分の時、人間の時を生きています。


  しかし、聖書によると私たちはどういう時も神さまの時を生きています。
 主イエス・キリストは、私たちのために、自分から捉えられ殺される道を
 進んで歩んで行かれました。そうすることで、私たちのすべての時が主の
 時になるようにして下さいました。私たちに何が起こっても、神さまに見
 守られていない時がないようにして下さいました。


  世界が、また、自分がどんなに悪い状況に置かれているように見えても、
 それがすべてではありません。私たちは主イエスのお蔭で神さまとつなが
 っています。神さまの時を生きています。それが私たちのすべてを理解す
 る鍵です。その事を信じて、怖れる他ない事が起こっても、その度に神さ
 まとつながっていることを思い出して、平安を取り戻しながら歩んで行き
 ましょう。


           
  



2013年9月22日 ルカによる福音書22:39〜46
                            田村耕造



主イエスはひざまづき、体中の力を振り絞るようにして祈られました。
 主イエスは、死をおそれておられました。罪人ではありませんでしたが
 、まるで罪人のように扱われて殺されていく、そういう死をおそれておら
 れました。それは、私たちの誰も経験したことがないおそれでした。

 主イエスは罪の力にまともに向き合って闘っておられました。その為に、
 愛する父なる神さまに見捨てられる辛さを味わわれました。そういう中、
 み心のままになさってくださいと祈られました。主はそうやって、み心が
 成ることを願う思いを改めて自分の思いにする闘いをしながら心を定めて
 行かれました。


  主イエスの激しい祈りの闘いによって、私たちは、神さまとの関係を回復
 していただきました。それによって、たとえ理解できないような事が起こ
 っても、いたずらに不安に駆られることなく、神さまのなさり方を信じる
 ことが出来るようになりました。心が揺れても父なる神さまに向き合うこ
 とが出来る者にされました。感謝です。


             



2013年9月15日 ルカによる福音書22:35〜38
                            田村耕造


                 

   主イエスは弟子たちに、これからどういう時を迎える時になるかを悟ら
 せようとされました。主イエスが人々から見限られるので、弟子も見限ら
 れ、それまでのような「もてなし」を受けられなくなる。そのことに気づ
 かせようとされました。


  人は変わります。ですから、人を見ていると、不安になってきます。しか
 し、聖書は、変わらない方がいるから安心しなさいと言っています。私た
 ちに最善のことをしようという神さまの思いは変わりません。その事を主
 はこう表現されました。「『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書か
 れていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実
 現するからである。」


  時代がどうであっても、変わらない事・確かなことがあります。それは、
 天の父なる神さまが、私たちのために主イエスにおいて為そうと計画され
 たことは必ず実現するという事です。時代がぐらついても、私たちがぐら
 ついても、神さまのみ心とみ業がぐらつくことはありません。父なる神さ
 まを信じて安心して生きて行きましょう。




2013年9月8日 ルカによる福音書22:24〜34
                            田村耕造



   主イエスは、自分こそ一番弟子だと自信を持っていたぺトロに向かって
 言われました。「シモン、シモン、…わたしはあなたのために、信仰が無
 くならないように祈った。」主イエスはぺトロが挫折することをご存知で
 した。


  ぺトロが、主イエスのことを三度も知らないと言った時は、ぺトロにすれ
 ば身の危険を感じるピンチの時でした。目に見えない方を信じることが出
 来なくなりました。私たちもぺトロのように信仰を失いそうになることが
 あります。神さまに出会う前の自分に戻りそうになることがあります。


  しかし、そういう時、主イエスがぺトロのために祈られたことを思い起こ
 したい。ぺトロのために祈られたという事は、ピンチになったら信仰をな
 くしそうになる者のために祈って下さる!という事です。私たちの様な信
 仰の弱い者のために祈って下さるという事です。それは、今も全く変わっ
 ていません。


                




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