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これまでの説教
2012年9月30日 ベテル修養会 
山中正雄師(日本アライアンス教団 千葉キリスト教会牧師)



  私が精神科医と牧師を兼務していることを告げると、うらやましがられ
 る事があります。確かに重なる部分も多くあり、補い合える職種であると
 いえるでしょう。それでも両者は異なる視点を持ち、その違いも明らかで
 す。精神科医やカウンセラーは主に人と関わる「こころ」に、牧師はさら
 に奥深くにある「魂」に焦点を合わせるからです。


   以前勤めていた精神病院でのこと。ある男性のキリスト者が、襲いくる
 幻覚や妄想と闘いながら、必死に壁に聖書の一説を書き残しました。「主
 が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1:21 口語
 訳)。彼の感情は不安定となり、思考は停止していました。支離滅裂な言
 動しか示せなかったのです。それでも「こころ」の深みでは、神を呼び求
 める信仰が萎えていませんでした。人間の「魂」の領域を垣間見たように
 思います。

  今でも、壁に記された言葉を思い出すと、衿を正さずにおれません。
 たとえ精神を病んでいても、その中核に存在する「魂」は健全でありうる
 !この事実も重く受け止めたいものです。

                  『こころの診療室』山中正雄著より




2012年9月23日 ルによる福音書 13:13〜21
                            田村耕造

 
  主イエスはたとえ話をされました。「ある金持ちの畑が豊作で、例年の
 何倍もの収穫がありました。そこで、金持ちは新しい倉を建ててそこに収
 穫物を納めて、安心しました。これで自分の生活は当分大丈夫だと思いま
 した。しかし、神さまはその人に言いました。『愚かな者よ、今夜お前の
 命は取り上げられる。』」


   将来に備える。それは私たちの誰もが考えることです。必要な事です。
 そういう意味では、この金持ちのやり方は愚かとは言えません。大事なこ
 とは、神さまが登場して『今夜お前の命は取り上げられる。』と言われた
 ことです。それは、命は私たち人間の手の中にない事を知らせています。
 収穫物が日々の生活を支えるわけではない事を知らせています。


   私たちは、この金持ちに代表されるように、自分の働きだけで自分の生
 活を確かなものにしようと考えます。しかし、私たちは、神さまから命を
 はじめいろんなものをいただいたり、お借りすることで暮らすことが出来
 ています。そのことに気づくことこそ、どんな備えにも勝って日々の生活
 を確かにする道です。


             



2012年9月16日 ルによる福音書 12:1〜12
                            田村耕造

 
           

  主イエスは、弟子たちを育てようとしておられました。誰よりも弟子た
 ちに神さまのことを分かって欲しいと思われました。神さまを信じて生き
 るという事はどういう事かという事を心を込めて教えようとされました。

  それで、ある時言われました。「ファリサイ派の人たちに気を付けなさ
 い。」ファリサイ派の人たちに偽善を見ておられたからです。

 偽善的なことをしてしまうのは、神さまよりも人に向き合っているから。
 ひそかに人を恐れているから。そう見ておられた主は、弟子たちに言われ
 ました。「体を殺しても、それ以上何もできない者どもを恐れないように
 。父なる神さまはあなた方の髪の毛の数まで知っておられる。」


  主イエスは、私たちが恐れを抱きやすい者だという事を知っておられまし
 た。それで言われました。「恐れるべき相手を間違わないように。父なる
 神さまを恐れ敬い信頼するように。」父なる神さまに覚えられていること
 を信じて、また、主の私たちに対する覚悟を信じて先が見えない事、自分
 に見えていない事を恐れる事から解放された歩みを続けたい。




2012年9月9日 ルによる福音書 11:37〜54
                            田村耕造

 
  主イエスは、ファリサイ派の人たちや律法の専門家に向かって「あなた
 方は、不幸だ。」と言う言葉を繰り返されました。彼らは、主イエスが活
 動を始められても少しも変わろうとしませんでした。主イエスに神さまの
 働きを見出すことが出来ませんでした。そこに、主イエスはユダヤ社会の
 危機を感じられました。

  事の起こりは、主イエスが食事の前に手を洗われなかったことです。

  主はあえてそうされました。手を洗わなくても、神さまに対して失礼には
 ならない。ユダヤ社会の習慣は絶対ではない。大事なことは、神さまに生
 かされていることへの感謝の心が伴う事。主はそれを身をもって示そうと
 されました。

 
 主の思いはこうでした。「あなた方は、多くの戒めを忠実に守ることで
 神さまに喜ばれる生き方ができると考えているようだが、神さまはその大
 変さと限界からあなた方を救い出す為に私をお遣わしになった。私に依っ
 て信仰生活を始め直しなさい。それこそは、父なる神さまが喜ばれること
 です。」私たちは主によってこそ、み心に叶う生活ができる者です。


                 



2012年9月2日 ルによる福音書 11:29〜36
                            田村耕造




  主イエスは人間の変わらない部分に目を留めながら言われました。
 「あなた方は、よこしまだ。」よこしまとは素直でないという意味です。
 人々は、主イエスという《しるし》をいただきながら、そのしるしは受け
 入れないで別のしるしを求めたからです。どこまでも自分にとって信じや
 すいものを神さまに求めました。


  信仰生活を始めたという事は、自分の思いよりも神さまの思いを中心に
 して生きておこうという決断をしたという事です。しかし、以前のままで
 いたいという思いが頭をもたげてきます。硬いものが心の中にあります。
 そういう私たちに向かって主イエスは言われました。「あなたの中にある
 光が消えていないか調べなさい。」


  私たちの中には、医学や科学技術の進歩をもってしても変えることが出来
 ないある硬いものがあります。しかし、そうだからこそその硬い部分に向
 けて光が差し込んでいます。私たちを変える、力ある光が差し込んでいま
 す。そのようにして、神さまは、私たちが考えている以上に深く私たちに
 関わって下さっています。






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