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これまでの説教

2012年6月24日 ルによる福音書 9:51〜62
                            田村耕造





  主イエスが意を決してご自分の最後の時に向かって歩もうとしておられ
 た時、弟子たちは、依然として神の国について誤解していました。主イエ
 スの死が神の国を創り出すことが分かっていませんでした。ですから、主
 イエスについて行くことについても、安易に考えていました。


  その彼らに、主イエスは厳しいことを言われました。どんなに思いがけ
 ない事が起こっても、神の国に生きていることを信じて主イエスに従える
 者になるためです。主は「まず肉親を葬らせて下さい」と言う言葉を退け
 られました。神さまは、どんなことよりも優先されるべきことをしてくだ
 さっているからです。

 
 私たちは、主イエスに従い始めても変わらない所がいろいろあります。
 信仰生活を始める前と同じような所があります。この世的な考えに流され
 そうになります。しかし、そのように心が揺さぶられながらも、神さまが
 主イエスを用いて、私たちのためにご支配を進めて下さっていることを信
 じて、磁石の針のように神さまを目指す者でありたい。



2012年6月17日 ルによる福音書 9:46〜50
                            田村耕造



                

  主イエスの身に一大事が起こることが告げられた時、弟子たちの間で、
 誰が一番偉いのだろうかという議論が起こりました。弟子たちにとって、
 神さまの評価より、人の評価が気がかりでした。また、人をどの点から評
 価すればしてよいのかが分かっていませんでした。


  弟子たちと主イエスの間には、思いにおいて大きな隔たりがありました。
 神さまが主イエスを用いて弟子たちに何をしてくださっているかがよく分
 かっていませんでした。主イエスの弟子にされた自分の中に何か素晴らし
 いところがあるからだと勘違いして、誇って偉そうな思いをもってしまい
 ました。


  それで、主イエスは地位も力もない子供を受け入れることを弟子たちにお
 求めになりました。それは、弟子たちが主イエスの憐み、父なる神さまの
 憐みが分かる者になることを願われたからです。自分が今どういう者であ
 るかという事より、神さまが、どれほどの思いを自分に注いで下さってい
 るかという事に気づいている人こそ偉い人だと主は言おうとされました。



2012年6月10日 ルによる福音書 9:37〜45
                            田村耕造

  ある人が、てんかんで苦しんでいる一人息子を連れて、主イエスの所に
 やってきました。その時、主イエスは不在で弟子たちだけでした。それで
 、弟子たちに治してもらおうとしましたが、治してもらえませんでした。
 それで、その人に主イエスは言われました。「治らなかったのは、弟子
 たちにもあなたにも信仰がないからだ。」まことに厳しい言葉です。

 
 それは、医療を無視したのでもなく、何でも信仰が大事だと言われたので
 もなくて、その人のことを誰よりも知っている方、その人を実際生かして
 いる父なる神さまとの関係でその人のことを考えなければ、その人が心も
 体も健康に生きていけるようにはならない!という事でした。

  更に言われました。「あなたの子をここに連れて来なさい。」主は、ご
 自分の最後の時がそう遠くない事を思って、厳しい言い方をされました。
 しかし、そこには、私たちへの愛情あふれる思いがありました。「神さま
 と、確かな関係をもって生きて欲しい」その思いがありました。ですから
 、不信仰な者の願いに、嘆きながらも応えようとして下さいました。

                         


2012年6月3日 ルによる福音書 9:28〜36
                            田村耕造


  ある山の上で、短い時でしたが、主イエスの顔の様子が変わり、着てい
 た服が真っ白に輝きました。そして、モーセやエリヤと語っておられまし
 た。その光景を見たぺトロは、すっかり嬉しくなって、「ここに小屋を三
 つ建てましょう。」と言いました。この時がいつまでも続いて欲しいとい
 う思いからの言葉でした。

  輝かしい姿の主イエス、旧約聖書の律法と預言者を代表する二人と語っ
 ている主イエス、それは、ぺトロが願っていた救い主の姿です。しかし、
 ぺトロに向かって、こういう声が響きました。「これは、私の子、選ばれ
 た者これに聞け。」私はこの者に自分の思いを託したのでこの者がいう事
 を聞きなさい。」


  この声は、主イエスがご自分の苦難について語られた言葉と関係がありま
 した。山の上で一瞬お見せになった栄光の姿がふさわしい方が、時の支配
 者に苦しめられて殺されるということが神さまのみ心だという事です。そ
 れは、私たちには思いもかけない話です。願っていない事です。しかし、
 その出来事の中に私たちにとっての救いがあります。
 

             


 

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