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これまでの説教

2012年2月26日 ルカによる福音書 7:18〜35
                            田村耕造


  洗礼者ヨハネは、獄中から使いの者を送って主イエスに尋ねました。
 「あなたこそ私の後を受けて、神さまのご支を実現される方ですね。」
 ヨハネは、主イエスを救い主だと信じていました。それにもかかわらず
 尋ねました。主イエスの働きは、ヨハネが期待したものとは大いに違って
 いたからです。

  主はお答えになりました。「私について見聞きしていることをヨハネに
 伝えなさい。体に不自由さを抱えている人たちは癒され、死者が生き返り
 人々は福音を聞いている。」それらはいずれもヨハネが既に知っていたこ
 とでした。しかし、それらの言葉の中に、真の救い主の姿の証がありまし
 た。


  主イエスがなさったことは、ヨハネをはじめ、人々が期待した救い主の
 業ではありませんでした。主イエスによって癒された人たち、また福音を
 聞いた人たちは一部の人たちでした。しかし、それらの出来事こそ主イエ
 スが私たちの人生を神さまに向けて整えて下さる救い主であることを証し
 ていました。その事実に躓かない人は幸いです。

     




2012年2月19日 ルによる福音書 7:11〜17
                            田村耕造


  ガリラヤ地方のナインという町で、母と息子二人暮らしの家庭に悲しい
 出来事が起こりました。一人息子が召され、悲しみの葬列が町の門から出
 ようとしていました。その時主イエスと弟子たちが葬列と出会いました。
 すれ違うはずでした。しかし、そうはなりませんでした。
  
  主イエスが母親に声をおかけになったので、葬列は止まりました。
 主は言われました。「もう泣かなくてもよい。」私たちにはとても言えな
 い言葉です。主は、母と息子だけの家庭に起こった悲しみの出来事を知っ
 ておられました。それだけでなく、悲しい状況を変える力をもっておられ
 ました。そういう方として言われました。「もう泣かなくてもよい。」 
 
  主はその後、息子を甦らされました。死の世界に置かれようとして者を
 命の世界に引き戻されました。その事で、ご自身が私たちの命の主である
 ことを示されました。私たちは、生きる時も死ぬ時も、主のものです。で
 すから、私たちは空しく生きる事はありませんし、空しく死ぬこともあり
 ません。どういう時も主に見守られるという幸いを得ています。
  
                     


2012年2月12日 ルによる福音書 7:1〜10
                            田村耕造


  百人隊長は、自分の部下が瀕死の状態に陥った時、主イエスに助けを求
 めました。その際、言いました。「主よ、ご足労には及びません。」彼は
 ユダヤ人が異邦人と日頃距離を保って生活していることをわきまえていま
 した。それ以上に、主イエスが人々に対してどれ程力ある方であるかを信
 じていました。百人隊長は続けて言いました。「ただ言葉を下さるだけで
 十分です。そうすれば、部下は一命を取り留めるでしょう。」

  主イエスは、多くの人たちに向かって言われました。「イスラエルの民
 にもこれほどの信仰を見出したことがない。」主は、百人隊長の信仰をほ
 めながら、人々が主を素朴に素直に信じる事を願われました。

 
  主イエスの言葉、また主イエスの生涯という言葉は、私たちの人生を変
 える力を持ちます。主のしなやかで強さを秘めた優しさは、私たちの人生
 にまとわりつく辛い出来事に対して力を持ちます。そして、私たちの傷つ
 いた心、くたびれた心、不安で望みを持ちにくい心を慰めます。その力は
 時代が変わっても変わることはありません。

                          


2012年2月5日 ルによる福音書 6:43〜49
                            田村耕造

  
主イエスは、いろんな話をされた最後にこんなことを言われました。
 「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わな
 いのか。」それは、自分の言葉を人々が良く受け止めただろうか、自分の
 言葉で日々の歩みが少しずつでも変わり始めるだろうかという気遣いから
 の言葉です。

  パウロがコリント教会に宛てた手紙の中で記しています。「イエス・キ
 リストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据
 えることはできません。」私たちに何があっても揺らぐことがない土台が
 すでに築かれています。人々がそこに立つことを主は望まれました。

  信仰が与えられても、なお私たちの歩みは頼りないものです。まるでな
 んの土台も持たない者のようになることがあります。しかし、私たちの心
 が激しく揺らぐような時も、自分の思いとは裏腹に確かな土台によって支
 えられています。「岩の上に土台を築いて家を建てて頂いた人にされてい
 ます。」主はその恵みに立って生きる事を人々に、私たちに望んでおられ
 ます。


              


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