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これまでの説教

2012年10月21日 ルによる福音書 12:49〜53
                            田村耕造


              


  「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」激しい思いがこ
 もっていることを感じます。裁きを感じる言葉です。平和の君としてお生
 まれになった方とは到底思えない言葉です。主イエスは、ご自分がどんな
 に神さまのことを語っても、結局いつもの生活に戻ってしまう人たちに愛
 想をつかして厳しい言葉を宣べられたのでしょうか。


   そうではありませんでした。主イエスは、私たちが本当に変わるために
 は避けられない厳しい出来事を思っておられました。自分が関わらなけれ
 ばならない事への思いが込められた言葉でした。神さまの裁きの厳しさを
 思って、主イエスのたじろぐ思いが感じられる言葉です。


  「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。」言葉の激しさに、
 私たちを思いやる主の心の激しさが現われていました。主は私たちと家族
 の関係よりも深い関係を私たちと持とうとして下さいました。そうやって
、私たちと本当に一つになることで、私たちを罪の人生から救い出そうとし
 て下さいました。そしてそれを成し遂げて下さいました。




宗教改革記念日(10月31日)


  事の起こりは、現在ヴァチカンとして知られている、ローマの聖ぺトロ
 (サン・ピエトロ)大聖堂の建設資金集めの為に「免罪符」を売り出した
 ことにあります。教皇の許可を得てドミニコ会修道士テッツェルが各地で
 販売しました。彼は、「免罪符」を買えば、当人のすべての罪が赦される
 ばかりか、煉獄で苦しんでいる人たちの魂が天国にあげられると言葉巧み
 に語ったので、民衆は先を争って買い求めました。心ある人たちは眉をひ
 そめましたが、王権より強い教皇庁に公然と反対するには相当な勇気が必 要でした。


  そういう中、マルチン・ルターは、聖書の見地(キリストの犠牲と無関係
 な罪の赦しはあり得ない)から、「免罪符」の販売に疑問を覚え、教皇庁
 に対し、質問に答えて欲しいと質問状(「95か条の提題」)を出しました
 。しかし、教皇庁がルターを力で抑えようとしたために事は思いの他大き
 くなっていきました。印刷機が発明されていたことも、事の広がりを後押
 ししました。またたく間に「95か条の提題」が全ヨーロッパに広く知れ渡
 ることになり、歴史的な出来事へと発展しました。



2012年10月14日 ルによる福音書 12:35〜48
                            田村耕造


  主イエスは、私たちが、将来のある日を望み見ながら、神さまに日々生
 かされる人生であることを信じる信仰に固く立ち続けることを願って、た
 とえを用いながら話をされました。「主人」がいるという話をされました
 。主人がもう一度、必ずお出でになる。そのことをいつも信じて過ごすよ
 うにと言われました。


  しかし、そのことが私たちにはなかなか難しい。主人の帰りが遅すぎると
 思ってしまう。待つことが出来なくなる。そういう時、私たちはひどい事
 を始める。将来に望みを持つことを止めた振る舞いをする。今が楽しけれ
 ばいい。そういう行動を始める。


  パウロはコリント教会への手紙の中で言っています。「私は、やみくもに
 走ったりしない。…賞を得るように走る。朽ちない冠を得るために…。」
 父なる神さまに導かれている私たちの人生とこの世界にはゴールの時が訪
 れる。「よく信仰を貫いた。」そう言っていただける時を前方に見ながら
 、主をいつでもお迎えできるように生きて行くのが私たちの生き方です。

                         



2012年10月7日 ルによる福音書 12:22〜34
                            田村耕造



  弟子たちは、日々の暮らしや将来のことであれこれ心配していることを
 折々に主イエスに尋ねたのではないかと思います。それで、ある時、主イ
 エスが言われました。「何を食べようか、何を着ようかと思い悩むな。烏
 のことを考えてみなさい。烏が天の父なる神さまに養われているとしたら
、あなた方はもっと確かに養われる。」


  また、言われました。「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからと
 いって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事
 さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。」それは、私たち
 の命も人生も父なる神さまのみ手の中にあることを信じて、思い悩み過ぎ
 ないようにということです。


   主イエスは「ただ神の国を求めなさい。」と言われました。神さまのご
 支配が、自分の生活の中に行き渡ることを求めなさい!という事です。神
 さまが、文字通り自分の生活の中心になることを祈り求める。そのことが
 出来るなら、どうしても必要な物なら与えられ養い生かされる。それが私
 たちの人生の真実です。



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