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これまでの説教

2012年1月29日 ル 6:37〜42
                            田村耕造


  
主イエスは、「人を裁かないように。」と言われました。その後、更に言われました。「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。」それは、誰かを裁こうとするあなたのほうが、裁かれなくてはならない厄介なものを抱えている!という事です。

   私たちは、誰かを裁くようなことを言う時、自分のことを棚に上げています。自分は悪くない。あの人が悪いので、言いたくもない言葉を口にせざるを得ない。そんな思いを持ちます。しかし、主は、私たちがそういう者だからこそ言われました。「人を裁かないように。」

  それは、《裁かれなくてはならない者が、裁かれないで、生きる事が赦されている恵みに気づきなさい!》ということです。ある方が、「主が言われた丸太の大きさと、主が背負われた十字架の大きさは同じだ」と言いました。私たちは、自分が受けている赦しの恵みの大きさに気づく事で、変わり始めます。人を裁かずにおれない者が、赦しの心を持ち合わせる者に変えられていきます。
              


2012年1月22日 ル 6:27〜36
                            田村耕造


  
「敵を愛しなさい」と主イエスは言われました。しかし、私たちは思います。素晴らしい言葉だけれど、自分たちには出来そうもない事!私たちには、誰かを愛する上でもろい面があるからです。しかし、主イエスは、その事を知りながら、「敵を愛しなさい」と言われました。

  主は、「敵を愛しなさい」という言葉に続けて、祈ることを勧められました。神さまが関わって下さる事を求めなさいと言われました。主は、私たちの頼りない愛を奮い立たせてではなくて、神さまに支えられ、変えられて敵に感じられる誰かを愛せる者になりなさいと言われました。

  更に言われました。「あなた方は、もはや罪人ではないのだから、人を愛することにおいても、罪人と同じであってはならない。」それは、神さまは、ご自分に敵対する者(=私たち)を赦して受け入れて下さったのだから、そういう恵みをいただいている者らしいことをしなさい!敵を愛しなさい!ということです。
                       



2012年1月15日 ル 6:20〜26
                            田村耕造


  主イエスは、弟子たちに言われました。「貧しい人たち、飢えている人たち、泣いている人たちは幸いである。」私たちの思いや願いとはおよそ違うように思える言葉です。主は、貧しさや飢え、また悲しみを抱いていること自体が幸いだと言われた訳ではありません。


  主は、覚悟をもってこれらの言葉を述べられました。それは、貧しさや飢え、また悲しみを抱いている人たちとこそ共に生きるという覚悟です。ですから、人生の大きな課題を抱えている人たちに向かって言われました。「あなた方は、私が一緒に生きようとしているので幸いだ。」

  主イエスは私たちにとって、何が幸いなのかを教えて下さいました。「私が言うことは、あなた方が期待している事とは異なる。しかし、これこそが、あなた方に確かな幸いをもたらす。それは、私があなた方と共に生きるという事。それにまさる幸いはない。」主は重荷を負うて生きる者と共に生きて下さいます。その事を信じて、主が考えておられる幸いな人生を歩んでいきましょう。
                    



2012年1月8日 ル 6:12〜19
                            田村耕造


  
主イエスは、夜通し祈って12人の弟子たちを選ばれました。その中には、主を否んだぺトロや、主の蘇りを疑ったトマス、また主を売ったユダが含まれていました。また、ローマ帝国との関わりでは、真逆の立場にあるマタイとシモンが含まれていました。選ばれた理由が分かりにくい人たちです。

  しかし、主はいろんなことをお考えになりながら選ばれました。やがて自分を裏切ることになる人たちを赦して受け入れるために、それも、裏切る弟子たちが、祝福された人生を歩むことを願う程に受け入れるために、夜通し祈られました。

  主は祈って覚悟して弟子たちを選ばれました。それは、私たちに対しても同じでした。主は祈って覚悟して私たちを選んでくださり、信仰生活に導き入れてくださいました。そればかりか、不信仰で、いつ主を裏切るか分からない私たちを、どこまでも愛する覚悟をしてくださいました。そうした主のお祈りと覚悟の上に、今の私たちの生活があります。
   


2012年1月1日 ル 2:22〜40
                            田村耕造

 
  
シメオンは、信仰が篤い人で、神さまがいつも共にいて下さることを心の拠り所にして生きた人でした。そして、ひたすら、神さまが約束してくださった一人の人に会うことを楽しみに生きた人でした。ですから、人生全体がアドベントのような人でした。

  ヨセフとマリアが生後40日の幼子イエスさまを連れて宮参りをした時、シメオンはイエスさまを目にして直感しました。この幼子こそ自分が長年待ち続
 けた方!シメオンはイエスさまを抱き上げて言いました。「神さま、目指していた方にお会いできたので、私はもういつ召されても構いません。」

  神さまを信じて待つ生活は、決して空しく終わりません。また、イエスさまに出会うことが、私たちの人生の目的になります。そして、この方の大切さを知ることによって、私たちは、自分はいつ召されてもいいと言える程、人生に対する充実感を得ることになります。シメオンの人生は、その事を私たちに教えてくれます。
                     

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